目次

I. 序文 1-6
II. 本案前の争点 : 主権免除に関する時際法問題  7-17
III. 主権免除と戦後補償請求 : 本件における必然的な関係  18-23
IV. 本件におけるドイツの国家責任の承認  24-31
V. 人間の基本的価値 : 忘れられた学説発展の再発見  32-40
VI. 国際法学会の研究成果 41-52
VII. 国際人道法と人権に対する重大な違反の限界値  53-62
VIII. 当裁判所で主張された、裁判を受ける権利に関する請求権放棄の問題  63-68
IX. 国際法への重大な違反の被害者個人の権利の国家間放棄の不承認  69-72
X. 両当事者の裁判を受ける権利についての立場  73-79
XI. 裁判官の質問に対する両当事者及びギリシャの説明  80-96
 1. 両当事者及びギリシャに対する質問  80
 2. 第1回の回答  81-91
  (a) ドイツとイタリアの回答  82-89
  (b) ギリシャの回答  90-91
 3. 第2回の回答  92-96
  (a) ドイツの意見  93
  (b) イタリアの意見  94-96
XII. 第2次世界大戦当時の強制労働禁止  97-120
 1. 規範的な禁止  97-101
 2. 禁止に対する司法的承認  102-113
 3. 成文化作業における禁止  114-116
 4. 国際犯罪と強行規範による禁止  117-120
XIII強行規範と主権免除否定についての
 両当事者と参加国の口頭弁論における主張  121-129
XIV. 主権免除と裁判を受ける権利  130-155
 1. 欧州人権裁判所判例に広く存在する緊張関係  130-142
  (a) アル・アドサニ事件 (2001) 130-134
  (b) マケルヒニー事件 (2001)  135-138
  (c) フォウガティ事件 (2001)  139-140
  (d) カロゲロプール事件 (2002)  141-142
 2. 国内判例に広く存在する緊張関係 143-148
 3. 法の支配の時代における国内・国際レベルの前記の緊張関係  149-155
XV. 主権行為と業務管理行為に関する当事者間の論争  156-160
XVI.個人と主権免除 : 頑迷な国家中心思考の短見 161-171
XVII. 裁判の必要性についての国家中心思考の歪んだ見解  172-176
XVIII. 個人と主権免除 : 頑迷な国家中心思考の克服  177-183
XIX. 国家犯罪に主権免除は存在しない  184-198
 1. 無防備状態の民間人の虐殺  185-191
  (a) ディストモ虐殺事件  185-188
  (b) チビテッラ虐殺事件  189-191
 2. 軍需産業における強制労働とそのための移送  192-198
XX. 個人の裁判を受ける権利の普及 : 両当事者の
 ゴイブ外事件(米州人権裁判所 2006)への言及  199-213
XXI. 個人の裁判を受ける権利 : 強行規範への判例法の進化  214-220
XXII. 無法を超えて : 個人被害者の法のための権利  221-226
XXIII. 消滅することのない条理の優越に向けて  227-239
XXIV. 人権と国際人道法への重大な違反の被害者個人の補償請求権  240-281
 1. 被害者個人に補償する国家の義務  240-257
 2. 本件における被害者の類型  258-260
 3. 「記憶、責任、未来」基金(2000)の法的枠組み  261-267
 4. 両当事者の主張の検討  268-281
XXV. 人権と国際人道法への重大な違反の
 被害者個人に対する補償の必要性 282-287
 1. 補償の一形態としての裁判の現実化  282-284
 2. 重大な違反に対する法の反作用としての補償  285-287
XXVI. 強行規範の優越性 : その解体の試みへの反駁  288-299
XXVII. 要約: 結論的考察  300-316

I. 序文

1. 私は、主権免除(独対伊 ギリシャ訴訟参加)事件について裁判所が本日(2012年2月3日)宣告した判決の多数意見に、遺憾ながら賛同することができない。私の反対意見は多数意見が採用した方法論、実行されたアプローチ、本質的な争点に関する全ての論理、そして判決の結論にわたる判決全体に対するものである。私はこの事件の手続の過程でドイツ、イタリア、ギリシャが提起した争点がきわめて重要であると考えているので、この争点についての紛争の解決が私の考える裁判の現実化という責務と不可分であることを念頭に置きつつ私の反対意見の基礎についての記録を残そうと思う。

2. そこで、私は裁判所によって宣告されたばかりの判決が扱った全ての問題についての私 の全面的な反対意見の根拠を、細心の注意を払い、まさに正義を実現するという最終目標に導かれた国際的な司法機関の作業への敬意と熱意を込めて開陳する。この趣旨において私は提起された争点の解明と国際法の進歩と発展に貢献することを期待して裁判所に提起され本件判決の対象となった紛争に関するあらゆる側面、とりわけ人権と国際人道法に対する重大な侵害を基礎事実とする個別事件、人道の基本的な重要性に基礎を置く事件についての当裁判所の判例について述べるであろう。

3. まず、本案前の争点として私は主権免除に関する考察の時間を超えた広がりについて述べた後、本案について第1に本件において(私の考えでは)必然的な主権免除と戦後補償請求の関係、第2に本件におけるドイツによる国家責任の承認についての私の考察の出発点について述べる。その後、私は人間の根源的価値を承認する今日では忘れられたいくつかの学説上の発展を再発掘し、この問題の主題と関連する国際法の研究機関の学問的研究を回顧する。さらに私は人権と国際人道法への侵害の重大性の限界値に言及するであろう。

4. 次に私はこの裁判所において主張された裁判を受ける権利に関する請求権放棄の問題への考察と、国際法への重大な違反の被害者の個人の権利の国家間による放棄の不承認という立場について論述する。そこで私は裁判を受ける権利についての両当事者の主張を再確認するであろう。次に2011年9月16日の裁判所における口頭弁論での私の質問に対する回答の中で当事国であるドイツ、イタリア、参加国のギリシャから示された説明について検討する。

5. 私は次に第2次世界大戦の時代における強制労働の禁止と強行規範による禁止及び主権免除の否定について考察する。さらに、国際判例における主権免除と裁判を受ける権利の緊張についての検討と、本件の当事者間の主権行為と業務管理行為に関する論争についての評価について述べる。私は更に個人と主権免除に焦点を当てて考察し、頑迷な国家中心思考の短見を指摘し、とくに裁判の切実な必要性がある場合における国家中心思考による歪曲の克服の必要性を強調するであろう。これは強行規範の分野における個人の裁判を受ける権利の普及により、国家犯罪には主権免除が存在しないという私の立場を支持するものとなるであろう。

6. 続いて私は被害者個人の法への権利について叙述し、決して消滅しない条理の優越性を立証する。私の論述の次の部分は専ら人権と国際人道法への重大な違反の被害者としての個人の補償請求権と、そのような被害者に補償すべき国家の必須の義務に充てられる。そして最後に強行規範の優越性への支持について述べ、強行規範の解体の試みに反駁する。 私が結論的考察を示すための論理の筋道はそこで完成するであろう。

II. 本案前の争点 : 主権免除に関する時際法問題

7. 主権免除の適用問題について考察するための不可避の前提として時際法の問題を検討しなければならない。この問題は本件において主権免除の可否は免除が要求された行為の実行時(1940年代)を基準に判断するのか、現在の紛争が裁判所に係属したときを基準に判断するのかという本案前の争いをドイツ・イタリア間に引き起こした。

8. ドイツはこれについて、ドイツ軍がイタリアに駐留した1943年から1945年には「絶対免除主義は争う余地がなかった」、そして今日でさえ「政府の主権行為に対する絶対免除は一般的に認められている慣習法である」と主張する。ドイツは更に、この主義からの離脱や主権免除に対する遡及効を有する新しい例外の創造は国際法の一般原則に違反することになるであろうと主張する。

9. 一方イタリアは、本件において問題となっている2004年以降にイタリア裁判所がドイツに対する訴訟の管轄権を認めた行為は、主権免除に対する今日の理解を正しく適用したものであると主張する。イタリアは更に主権免除は手続上の規則であり、裁判所に訴訟が係属した時に有効であった法に基づいて判断されねばならないする。また、諸国の裁判所は一般的に「元の不法行為の時ではなく、訴訟提起の時に」存在した法を適用してきたと主張する。

10. 主権免除の適用の可否についての時際法の問題の検討において二つの問題が提起される。すなわち、第1はこの数十年間に主権免除の法が変遷または発展したかという問題であり、第2は本件において裁判所に紛争が持ち込まれた時点の今日の理解における主権免除を適用すべきか、と言う問題である。第1の問題については、主権免除の法は静止していたのではなく明らかに発展・進化してきた。国際人権法、現代国際刑事法、国際人道法の発展が主権免除の法の進化に影響を与えなかったはずはない。

11. 第2の問題については、裁判所に紛争が係属したときの主権免除に焦点を当てるべきケースがある。いずれにせよ、イタリア裁判所が2004年以降に宣告した主権免除を否定し個人の被害者への損害賠償を認めた判決について第2次大戦中の解釈により問題を考察することは意味をなさない。国際法の成立と発達及びその解釈と適用は、時際法の問題と切り離すことができない。時際法の問題はパルマス島事件の1928年4月4日の仲裁裁定(オランダ対米国)でクローズアップされた。この中で仲裁裁判官のマックス・フーバーは次のように述べている。

「特定の事件において、継続する時点で異なる法体系が存在する場合にどちらの法を適用すべきかという問題(いわゆる時際法)について、権利の創造と権利の存在が区別されなければならない。権利の創造行為を権利発生時に有効であった法に従わせた原則と同じ原則が、権利の存在、換言すればその存続については進化した法の求める条件に従うことを要求する。」

12. かつて存在すると誤認されていたような「不変の」規則は国際法には存在しないことが現在では明確に認識されている。万国国際法学会はそのローマ会議(1973年)とヴィースバーデン会議(1975年)において「時際法」問題を扱っている。そこでは与えられたいかなる状況も、現在に存在しやがて発展していく法規則に照らして理解すべきであるという基本命題について一般的承認があった。潜在的緊張関係への意識が1975年のヴィースバーデンにおける学会による慎重な決議に反映されている。

13. 時の経過が国際法の規則の成立と発展に与える衝撃又は影響は法の外部の現象ではない。実証主義・主意主義による国際法の概念は、われわれの学説の基礎に関係する国際法の原則の不当な矮小化による(例えば国家実行の)観察方法の強調を伴って、時間に対する法の独立の樹立を試みようという(虚しい)主張を育てた。

14. その概念的な分野において、例えば国際法規範の内容及び効果と新たな期間に発生した社会の変化の関係を考慮しつつ時際法の様相が研究されるようになった。これに関する参照すべき先例はナミビア事件における勧告的意見 (1971)の有名な傍論の中に見出される。 その中で委任統治の制度(委任統治下の領域)は「静止」していたのではなく「明らかな進化」を遂げていたことを認め、裁判所がそれについて解釈する場合には、その後の50年間に起きた変化とその期間における国際法の大きな進化の集積への考慮を怠ってはならないと付け加えた。裁判所の言葉によれば、「国際文書は解釈時の全法体系の枠組みのなかで解釈・適用されなければならない。」

15. 本件においては、2010年7月6日の裁判所命令がイタリアの反訴請求を「承認しがたい」ものとして却下した後にも、大変遺憾なことに引き続き主権免除を補償請求から分離しようとした事実がある。紛争当事者であるドイツとイタリア自身は口頭手続と書面手続において主権免除の問題と戦後補償問題の事実的背景とを関連づけていた。私見によれば、事実関係(原因事実を含む)以外の文脈から主権免除の無効を考えることができないのは避けがたいことのように思える。本件の手続がはっきりと示したように、二つの要素は不可分である。私はこの反対意見を通してこの原点に戻ろうと思う。

16. 私見によれば、紛争の原因となった事実を単に軍需産業での強制労働は過去(第二次世界大戦中)には禁止されていなかったとか、強行規範は当時には存在していなかったとか、人間の生来の権利は認められていないと主張するために援用し、同時に主権免除の盾に隠れることは許されない。それは私にはまったく理解できないものであり、不処罰と明らかな不正義に導くものである。それは国際法に反するものである。それは過去において受け容れられなかったのと同様に今日も受け容れられない。それは国際法の基礎にある条理に過去も現在も反するものである。

17. 同じ継続した状況の中で、時間の経過と法の進化を特定の事実との関係のみにおいて受け容れ、他の事実との関係では受け容れず、単に訴訟における一方の利益に資するために時際法について考慮することはできない。今日、主権免除と戦後補償請求の相互関係に対する深い認識があり、それは再確認されている。それらの相互関係をそのような根拠を示すこともない独断的立場から捨て去ることはできない。過去に犯された残虐行為に対する法的結果から逃れるため固定されたドグマの背後に隠れることはできない。残虐行為を終らせ、それが世界のどこにおいても二度と引き起こされないための終わりのない闘いのなかで、法の進化が考慮されなければならない。

III.主権免除と戦後補償請求 : 本件における必然的な関係

18. イタリアの反訴請求を即時却下した2010年7月6日の裁判所命令以降も両当事者(ドイツとイタリア)が引き続き紛争の背後にある事実と歴史的背景に言及したことを看過してはならない。特筆すべきことは、 2010年7月6日の裁判所命令の後でさえ両当事者、とくにドイツが本件の事実的、歴史的背景について言及し続けたことである。特にドイツは書面及び口頭申立の一部を専ら補償問題に費やした。

19. 実際、イタリアの反訴請求に対する2010年7月6日の裁判所命令の後、ドイツは(2010年10月5日の)抗弁書を提出したが、その第3部第12~34項は「イタリアとイタリア民間人に対する補償」に充てられていた。補償問題と本件の事実関係について、例えば抗弁書第13項では、イタリアは戦後補償の枠組みに参加しかなりの金額の補償金をドイツから受け取ったと主張する。更に抗弁書第34項で、ドイツは集団的な補償を始めとする様々な補償の仕組みを通じて完全に満足すべき方法で補償の義務を果たしたと主張する。

20. 両当事者の主張は口頭手続においても同様である。イタリア側補佐人はこれについて次のように陳述した。

「裁判所におけるこの一週間の弁論で、大部分の議論と発言はこの補償問題に焦点を当て続け、ドイツ側の各補佐人はこの問題に対する義務違反がなかったことを力説するのに全精力を費やしたにもかかわらず、ドイツ側代理人がこの期に及んで補償問題は本件の一部を構成するものではないと主張するとは驚くべきことではないだろうか?」

21. ドイツは口頭手続第2回弁論において「本件は第2次大戦中の国際人道法違反や補償問題を対象とするものではない」と述べたが、ドイツ代理人は「ドイツの戦争犯罪被害者は意図的に無補償のまま放置されたという、イタリアやギリシャの友人たちによってつくられた全ての誤った印象を一掃」したいと述べた。彼女はその後第2次世界大戦後に設けられた補償の仕組みを説明し、次のように述べた。

「―1960年代初頭にドイツ連邦共和国は人種的・宗教的迫害の犠牲者のためにギリシャに1億1500万ドイツマルクを支払った。訴答書面で言及したように、ドイツは同様にイタリアと二つの条約を締結し、それに従って8000万ドイツマルクをイタリアに一括金として支払った。

―およそ3400人のイタリア民間人が「記憶、責任、未来」基金から強制労働の補償を受けた。イタリアの個人に基金から支払われた合計額は200万ユーロに近い。 ―その上、約1000人のイタリア軍人収容者が基金から強制労働についての補償を受けた。

―更に、多数のイタリアとギリシャの個人がドイツの戦後補償法により支払を受けた。」

22.ドイツ側補佐人の主張については、ドイツが全体としては補償を懈怠しているというイタリアの立場がどのような点で「国家社会が発案した補償体系全体についての説明を要求」しているのかという疑問がさらに提起される。ドイツの主張は「ドイツに対して宣戦を布告していた国家社会が発案し、ドイツの降伏の数か月後にポツダムで発表された」補償体系の設立の説明へと続いている。そしてドイツ補佐人は「政治的、歴史的、法的文脈において放棄条項は、一種の偶発的なものであるとか、国際責任の体制に適合しない逸脱した条項とみなされてはならない」と主張した。

23. この点の結論として、我々は本件の元になった歴史的背景などの事実関係から抽象的原則を引き出すことはできないと言うことができる。主権免除は虚空の中で検討できるものではなく、事件の元となった事実と必然的に関連する事柄なのである。これがまさに、き わめて遺憾にもイタリアの反訴請求を却下した2010年7月6日の裁判所命令に対する私の反対意見で主張したことである。その命令の直後に依然として両当事者自身(ドイツとイタリア)が主権免除の問題に対する彼らの(書面及び口頭の)主張を戦後補償請求の事実的背景と関連づけていたのである。主権免除と事実的背景は必然的に相互関連する以外になかったのだ。

IV. 本件におけるドイツの国家責任の承認

24. 特定の事件における主権免除の主張と戦後補償の必然的な相互関連性を確認した後、私は次の問題点、すなわち本件の事実的原因となった不法行為に対するドイツの国家責任の承認について検討する。これは原告国家がその事件の元となる事実的背景を形成する加害行為についての自らの責任を認めているという、ハーグ裁判所における国家間訴訟においてきわめて稀で前例のない本件の特異性を明らかにすることにつながる。

25. 本件手続の書面と口頭の段階を通してドイツは殊勝にも本件の事実的原因となっている不法行為、即ち第2次世界大戦中に第三帝国が行った犯罪に対する国家責任を繰り返し自ら認めた。例えばドイツは訴答書面の中で次のように述べた。

「紛争の歴史的文脈は一方でドイツ軍隊が行った不法行為、他方で戦後ドイツが前記の不法行為によって負った国際責任を果たすため国家間レベルで実行した施策の少なくとも概略を述べることなくしては完全に理解されない。…ナチス独裁の終了後に出現した民主ドイツは1943年9月8日乃至9日からイタリアの解放までの期間にドイツ軍が行ったきわめて重大な国際人道法違反について一貫して深い遺憾の意を表明してきた。」

26. ドイツは更に「侵略戦争の野蛮な戦略の犠牲者」となったイタリア市民らを記憶するために数々の機会に自ら行ってきた「象徴的行為」について言及した。そして、将来的にもそのような行為を行う準備があると述べた。ドイツは特にトリエステ近郊の追悼施設「リジエラ・ディ・サン・サッバ」(第2次世界大戦中のドイツによる占領期に強制収容所として使用された)で行われた2008年の式典に言及した。 そこで、ドイツは「とりわけ虐殺に際し、又は元イタリア軍人収容者に関して、イタリア人男女に負わせた筆舌に尽くし難い苦痛」について全面的に認めたのである。

27. トリエステ近郊の追悼施設で行われた式典の期間(2008年11月18日)に行われたド イツ・イタリア当局の会議の結論の一つは、ドイツとイタリアの歴史家の共同委員会の設立の決定であった。

「両国が全体主義体制の支配下にあった時代の、特に第三帝国により強制労働者(軍人収容者)として虐待されたイタリア軍人らを含む戦争犯罪の被害者に着目した両国に共通する歴史研究の委託を受け、実際に両国から5名ずつの高名な学者により構成される第1回共同委員会が2009年3月28日、ドイツとイタリアの文化的出会いのための卓越したセンターであるヴィッラ・ヴィゴーで開催された。」

28. ドイツは更に「極めて深刻な違反ないし犯罪がイタリアにおいて占領軍により行われたことに異議を唱えない」と述べた。さらに「第三帝国の軍隊による違法行為は1943年から1945年に行われた。それ以来、元来の被害に新しい加害は付け加えられていない。」と述べた。その抗弁書においてドイツは再度「ドイツの占領軍が戦争法に対する極めて深刻な違反を犯した第2次世界大戦中の恐るべき事件(ただし、裁判所に提起された主権免除の問題とは分離することを求める)」と言及した。

29. 同様に、2011年9月12日の裁判所における公開の口頭手続においてドイツ側補佐人は次のように述べた。

「ナチス独裁の終了後に出現した民主ドイツはドイツ軍が行ったきわめて重大な国際人道法違反について一貫して深い遺憾の意を表明し、1943年9月から1945年5月のイタリアの解放までの期間にイタリアの人々に苦痛を負わせたことを完全に認める。これにしたがいドイツ政府はイタリア政府の協力の下に被害者とその家族に手を差し伸べるための幾多の行動をしてきた。…
最も恐ろしい犯罪はドイツにより第2次世界大戦中に犯された。ドイツはこれについての責任を完全に認識している。それらの犯罪はドイツが戦争終了後設立し実行した経済的、政治的、その他の補償・賠償のための機関や仕組が特異であるのと同様に特異である。我々は歴史をやり直すことはできない。仮に被害者や被害者の子孫がそれらの仕組が不満足であると感じるなら、我々はきわめて残念である。」

30. その後まもなく裁判所の2011年11月15日公開法廷においてドイツ側補佐人は次のように繰り返した。

「主権免除に関する複雑な法的性格のこれらの手続ではドイツが全ての責任を認めている恐ろしい戦争中の出来事の人間的側面を公正に評価することが全くできないことを我々はよく理解している。私はこの機会に法廷の中においてだけではない、我々の 被害者に対する極めて深い敬意を強調しておきたい。」

ドイツは更に特に1944年6月10日に実行されたギリシャのディストモ虐殺に対する責任を認めた(後記188項参照)。

31. ディストモ虐殺は決して孤立した残虐行為ではない。当時の占領下のギリシャでは、組織的な抑圧と極度の暴力という類型の他の虐殺も発生していた。当裁判所において、ドイツ側の国家責任を認める上記の陳述は称賛されるべきものであるが、戦後補償請求と必然的に関係する主権免除の請求に関する本件の事実的背景を抽象化することが不可能であることを再び示している。

V. 人間の基本的価値 : 忘れられた学説発展の再発見

32. 法学説(例えば「諸国の最も優秀な国際法学者の学説」)は国際法の正式な「法源」として裁判所規程第38条(1) (d)に「判例」とともに列挙されている。従って、これを主権免除に関する本件のなかで提起された基本的問題の考察から排除し、専ら主権免除の手続問題の(国際、国内の)判例法のみを参照することはできない。根本にある人間の価値を活かした最も明晰な国際法的思考にも焦点を当てるべきである。そこで私は本件を考察するにあたり特に重要であると思われるいくつかの著作を検討することにする。

33. 私がここで検討する著作は網羅的なものではなく選択的なものである。過去から学ぶことを忘れているように見える特に活動的な(忙殺的でなければ)法律専門家とって、人間の価値の考察を通じた特別の訴訟戦略を追求するにあたって、この時代に忘れられたままであるべきではないいくつかの思索を選択する。 すなわち二つの世界大戦を経験して生き抜いた世代に属し、両大戦間の苦難の時代と第2次世界大戦の恐怖のなかで国際法に献身した、今は忘れ去られたかのように見える次の3人の卓越した法律家の思想に焦点を当てる。
アルベルト・ドゥ・ラ・ブラデル(Albert de La Pradelle (1871-1955))後に小さな変更を経てICJ規程となった旧国際常設裁判所(常設国際司法裁判所)規程を1920年に起案した法律家諮問委員会の元メンバー。
マックス・フーバー( Max Huber (1874-1960))常設国際司法裁判所の元裁判官。
アレハンドロ・アルバレジ(Alejandro Alvarez (1868-1960))ICJの元裁判官。

34. ドイツでナチズムが隆盛したころ、他の場所では、そして外でもなく国際法思想の領域で人道主義が育てられた。1932年11月から1933年5月にパリで行われた啓発的な講義の 中でアルベルト・ドゥ・ラ・ブラデルは次のように述べた。国際法は国家間関係に優越し、人類を保護するために国家間関係を統制する。それはまさに「人間社会の法」である。国際法は各々の訴訟において、人間個人の権利の尊重と人間に対する国家の義務の履行を保障しようとする。 国際法は人間から作られ、人間によって、人間のために存在する。

35. 国際法の下では国家はその構成員たる人間に自らの運命の主人公であることを許さなければならない。真の「人類の法」の枠組みのなかでは自然法から発生した法の(そして国際法の)一般原則が重要で指導的な役割を果たす。単なる国家中心思考は危険であると彼は警告する。彼の言葉によれば、

「国際法は国家間の相互の権利と義務によって成り立っているという概念はゆゆしく、危険である。…そのような概念を判断の過程から排除することが必須である。…それは国際法の形成と発展について、主権についての新しい表現で示される諸国家の各々の権利のみを諸国家に重視させる差し迫った危険を引き起こす。」

彼の見解の中で注目すべきことは、法的良心から発生したそれらの一般原則や、個人の人権を尊重する「人類の発展」に依拠していることである。

36. 一方マックス・フーバーは晩年に執筆し彼の人生の終わり近くに出版された著書の中で、人類の法としての国際法の全領域における「国益」に優る「上位の価値」の重要性に注意を喚起した。当時(1954年執筆)から振り返り、彼は次のように考察する。

「現在を1914年と比較すると明らかに法の価値が弱まってきており、法が課している制限への本能的な尊重が減退している。これは間違いなく国家の法体系の内部の損傷の結果である。人間と生命の価値の低下、広く蔓延した法的良心の低下。これらは大部分の人類が大きな抵抗もなく戦争法の価値の低下を受け容れた理由を説明している。」

37. フーバーにより自然法思想の見地から主唱され支持された国際法は人間個人を保護しようとするものである。現代の国際人道法(例えばジュネーブ4条約で具体化したもの)は究極的には国籍の区別ない個人の保護を意味するものであり、人類に重点を置いたものであったと彼は述べている。彼はさらに何人かの国際法哲学者により考案された究極的な理想である世界共同体に言及している。

38. また、アレハンドロ・アルバレジは没年の前年に(当初はパリで)出版した著書「人々の現実の生活に関係する新しい国際法」(1959)の中で、第2次世界大戦後の「社会的大変動」後に「国際的法的良心」から発生した一般原則であり、人道に対する罪に関する教訓としての国際法の基礎を解明した。彼によればそれらの国際法の一般原則も法的良心に由来するものであり、新しい時代に再確認されるべきである。

39. それらは1899年と1907年の万国平和会議の歴史的例証として、より重要である。アレハンドロ・アルバレジはさらに進んで、それは国際法の発展の「ダイナミズム」の結果であると述べた。

「この法について『現行法』と『あるべき法』という伝統的な区別をすることは困難である。形成された国際法のそばには常に形成過程にある国際法が存在する。」

40. 人間の基本的価値に重点を置いた学説の発展についてのこの簡単な検討は、20世紀の二つの世界大戦の恐怖の証人である世代の最も卓越した法律家らはこの分野において国家重視のアプローチを追求することが全くなかったということを明らかにした。反対に彼らは個人を重視する全く異なるアプローチを進めた。私の考えでは、今日でも同様であるべきであるが、彼らは国際法の歴史的起源に忠実であった。ある分野が第2次世界大戦の恐怖を回避するために何の役にも立たなかった国家重視のアプローチによって強く特徴づけられているとしても、例えば主権免除は今日では人間の根本的な価値に照らして再検討されるべきである。主権免除は結局のところ特典であり、人間の根本的な価値に照らし今日の国際法の発展と無関係な抽象的存在では有り得ない。

VI. 国際法学会の研究成果

41. この関係において、国際法の分野の学会の研究成果を援用することができる。本件の中心争点である主権免除の問題は次の世代の法学者や万国国際法学会 (IDI)及び 国際法協会 (ILA)のような学会の関心の的となった。万国国際法学会は19世紀末の草創期から現在にいたるまでこのテーマに関与してきた。まず1891年の同学会ハンブルグ会議における「国家又は国家元首に対する裁判における裁判所管轄権に関する国際規程草案」(起草委員会及びL. von Bar、J. Westlake、A. Hartmannによる) 第4条(6)は次のように規定した。

「外国に対して認められる唯一の訴訟は…
― 領域内で行われた不法行為又は準不法行為に対する損害賠償訴訟である。」

42. 半世紀以上後、1954年の同学会エクス・アン・プロヴァンス会議の「外国国家の裁判権と強制執行からの免除」の結論(報告者E. Lémonon)の第3条は次のように述べた。

「国内裁判所は外国や外国法人に対し、紛争が公共機関の行為に関するものでない限り、第1条に照らし常に訴訟を許容することができる。行為が公共機関によるものであるか否かの判断は法廷地法による。」

43. 1991年、同学会のバーセル会議において、裁判権と強制執行についての主権免除に関する現代的問題の結論(報告者イアン・ブラウンリー)は(主権免除に関する法廷地国裁判所の権限を示す基準として)第2条 (2) (e)で次のように述べた。

「その国と合意がない場合、当事者である外国から主権免除の要求があるにも関わらず法廷地国の関係機関が請求の内容を判断することができる権限の基準として下記を挙げることができる。…
―法廷地国の機関は法廷地国の国内管轄内における外国又はその官憲による行為に起因する人の死亡又は負傷、実体的財産の滅失又は損傷に関する訴訟について権限を有する。」

44. 10年後、2001年バンクーバー会議における、国際法における元首と政府の長の裁判と執行からの免除に関する万国法学会決議 (報告者J. バーホーベン) は第3条で次のように述べた。

「民事及び管理行為について、国家元首はその公的職務の実行のための行為に関する訴訟を除いては外国の裁判所におけるいかなる免除も享受できない。公的職務の実行のための行為に関する訴訟においても国家元首は反訴について免除を享受できない。しかしながら、国家元首が法廷地国内で公的職務に従事している場合には裁判所の手続は及ばない。」

45. 4年後の2005年、万国国際法会議クラクフ会議における「虐殺・人道に対する罪・戦争犯罪に対する国際刑事訴訟」の結論において(報告者 C. Tomuschat)次の見解が示された(第3条(a))。

「法的な合意が存在しない場合、普遍的管轄権は次の条件で行使されるべきである。 ―国際的、国内的な武力紛争における虐殺、人道に対する罪、戦争被害者保護のための1949年ジュネーブ条約に対する重大な違反、その他の国際人道法に対する重大な違 反のような国際法により規定された国際犯罪には普遍的管轄権が行使される。」

46. 最後に同学会は2008年のナポリ会議において採択した「国際犯罪事件における国家と国家を代表して行動した個人の主権免除に関する決議」(報告者 レディー・フォックス)において次のように述べた(第2条⑶⑷)。

「―条約と慣習国際法により国家は国際犯罪を防止し抑圧する義務を負う。主権免除は犯罪被害者に対してこの決議が認めた適切な補償の障碍となってはならない。…諸国家はその官憲が国際犯罪に関与したとされる場合には主権免除の放棄を検討すべきである。」

47. 更に、同じ万国国際法学会2009年ナポリ決議は下記のように明確に付け加えた。 (第3条 (1) (3) (a) (b))

「―国際犯罪に適用される国際法による個人の免除以外には主権免除は認められない
―上記の条項は下記に影響を及ぼさない。
―前項で言及した個人の国際法上の責任
―そのようないかなる個人の国際犯罪を構成する行為の国家への帰属。」

同決議の第4条は、上記の条項は「国家の官憲により行われた国際犯罪について外国の国内裁判所に提起された民事訴訟においてどのような場合に国家が主権免除を享有するかという問題に影響を及ぼさない」と述べている。

48. 上記により次の事実が明らかである。 当初、万国国際法学会は主権免除について、静的で不変のものではなく、現在も発展中であり、限界と例外を伴うものであることを明かにした(1891ハンブルグ会議、1954エクス・アン・プロヴァンス会議、1991バーゼル会議)。さらに国家元首の免除についても同様のことが言えるとした(2001バンクーバー会議)。より最近(2005年クラクフ会議)では万国国際法学会は国際犯罪(人権と国際人道法に対する重大な侵害)に対する普遍的管轄権を支持した。 そしてこの問題に対する最も最近の取り組み(2009年ナポリ会議)では万国国際法学会は国際犯罪には主権免除は適用されないとはっきり指摘した(第Ⅲ条(1))。この決議は賛成43反対0棄権14で採択された。

49. 2009年ナポリ決議採択に先立つ学会の討論の中で、特に下記の意見が表明された。

(a) 国家責任を伴う、国家が計画・準備した犯罪については、不処罰を避けるため、国内・国際を問わずあらゆる裁判権への障壁が排除される(A. A. Cançado Trindade発言)。
(b) 主権免除は刑事処罰の免除と理解されてはならない(G. Abi-Saab発言)。
(c) 被害者が無救済のまま放置されることを避ける必要が強調されるべきである(G. Burdeau発言)。
(d) そのような進歩的なアプローチをとることが必要である(R. Lee発言)。

50. 前記のもう一つの学会である国際法協会(ILA)もこの問題を強調した。「重大な人権侵害に対する普遍的管轄権の実行」最終報告書(2000ロンドン会議)において、国際法協会の「国際法と実行」委員会は「国際法の下で犯罪と評価される、国際人道法と国際人権に対する重大な違反であって、とりわけその重大性が普遍的管轄権に服することを通じた特別の対応に値するもの」の略語として「重大な人権侵害(gross human right offences)」という用語を採用した。国際法協会委員会の「結論と勧奨」(No.4)のひとつは下記の通りである。

「重大な人権侵害は普遍的管轄権から免除されないという原則は、犯罪が公的立場から犯された場合にも適用されるべきである。」

51. 10年後、「武力紛争の被害者のための補償」についての報告書(2010 国際法協会ハーグ会議)において、武力紛争被害者に対する補償(実質問題)委員会は「武力紛争被害者のための補償についての国際法原則についての宣言」草案第6条注釈のなかで、補償の義務は(常設国際司法裁判所が1928年ホルジョウ工場事件で判示したように)ハーグ第4条約第91条、1949年のジュネーブ4条約の1977年追加議定書第91条の「国家責任の一般原則に由来する」と述べた。そして 国際法協会 委員会は次のように付け加えた。

「個人の請求は伝統的に退けられてきたが、学界の支配的見解は国際人権法だけでなく国際人道法においてもますます個人の補償請求権を認めつつある。国家実行についても同様の変化が認められる。」

52. 結論として、国際法学会の業績を含む現代の国際法学説では、主権免除と裁判を受ける権利の間の緊張関係を特に国際犯罪の場合には後者を重視する形で徐々に適切に解消しつつある。それは 裁判の切実な必要性、そして国際犯罪が行われた場合の不処罰を回避し、それらの将来における再発防止を保障することに対する学説の関心を表している。犯罪的 な国家政策やその結果として起こる国家による残虐行為は主権免除の盾によって隠すことはできないということが今日一般的に認められている。

VII. 人権と国際人道法への重大な侵害の限界値

53. 次に、専門家の著作の中では現在まで十分に発展しなかった側面、すなわち被害を受けた個人に対する補償のための裁判権へのあらゆる障碍を排除する人権と国際人道法に対する侵害の重大性の限界値について考察する。この関係において個人だけでなく国家の国際犯罪に対する責任確定の実現可能性を論証する努力が学問的レベルで続けられてきた。それは国際犯罪における国家責任が一般国際法の中で明らかになりつつあることを示唆している。言うまでもなく、私が提唱している人類及び個人のための国際法という現代的な見地からみると、国家による犯罪の実行が全ての被害者個人に対する補償の決定という結果を伴うことは一層明らかである。

54. この論理の中では、被害者に対する補償と裁判権に対するあらゆる障碍の排除という不可避的な法的結果を発生させるのに必要な人権侵害の重大性の限界値を考察することが重要である。今日、すべての大規模な残虐行為を誰が行ったかにかかわりなく重大性の限界値に照らして考察することは非常に重要である。これは明白なことのように思えるが、残念ながら国家をあらゆる種類の責任から免除する実行が存続している。ときおり人権侵害の重大性の限界値を解釈する試みが行われた。この関心はいまだ確固たる結論に至っていないとはいえ、時に、例えば国連国際法委員会(ILC)の作業の中で示された。

55. 国連国際法委員会は1976年、国家責任条約草案の検討(報告者Roberto Ago)の中で、(国連憲章のような)「人類の良心に深く根ざ」し「国際社会の法秩序」の基礎をなす根本原則に違反する「他のものより深刻」で「国際犯罪」を構成する国際的違法行為があることを認めた。同委員会はそのような「例外的に深刻な過ち」を確認する必要を認める中で、「第2次世界大戦中の未曾有の惨事の恐ろしい記憶」を1976年において、なお想起した。

「ナチス体制によって行われた人間に対する計画的虐殺が残した恐怖の感覚、そして人の生命と尊厳に対する全く残忍な攻撃に対して感じた怒りは、国内法だけではなく、その上に、人々の根本的な権利と個人が保護され尊重されることの保障を強制的に命ずる国際社会の法の必要性を指し示した。」

56.「人類刑法典」草案の国連国際法委員会報告者(ドゥドゥ・ティアム)は、10年後、その 第5報告書(1987)において、同様の関心から、問題の違反は「人類社会の基礎そのものに影響を与える犯罪」であると主張した。続いて1989年に同報告者は国際人道法に関するジュネーブ4条約(1949)、更に第1追加議定書(1977)に編入された「重大な違反」の概念に注意を喚起した。更に10年後、国連国際法委員会は前記の草案第7条の注釈(1996報告書)において次のように述べた。

「特に国際法の最も基本的な規則に違反し国際平和と安全の脅威となる凶悪な犯罪が人類の良心に衝撃を与えて以来、いくつかの点で 法典の定める犯罪に最も責任のある者が国家主権を引き合いに出して彼らの地位の効能である免除の影に隠れることを許すのは矛盾である。」

57. 国際法に対する重大な違反の概念は2001年の国家責任条文案で再び姿を現し、国連国際法委員会により採用された。第40条は「一般国際法の強行規範」上生じる義務の「義務履行に責任ある国家による著しい又は組織的な不履行」と定義した。第41条は再び「重大な違反」に言及する。これらの条項の注釈は問題の違反の「組織的、大規模、言語道断な性質」を強調する。それらの違反は国家責任を生じ、それは国際的な個人の犯罪責任を消すことはない。重大な違反についての国家責任は一般国際法に内在する。今日の国際人権法と国際刑事法の発展が指し示すように国家と個人の責任は相互に補完する。

58. その上人権に対する重大な侵害の場合には、関係国は他国に対してではなく、究極的には個人及び人類に対する重大な危害について責任を負う。国連国際法委員会自身も採用したばかりの条項への注釈を記載した2001年最終報告書においてそれを認めている。 国連国際法委員会は次のように述べている。

「人権保障に関する条約上の義務違反に対する国家責任は他の条約参加国すべてに対して負うことになるが、関係する個人は最終受益者とみなされるべきであり、その意味において重要な権利の保持者である。」

59. 要するに、補償を受ける権利の保持者は被害を受けた人間としての個人である。国際人道法と人権に対する重大な侵害の実行において、実行者個人が国家の名の下に行った犯罪は不可避的に国家自体の責任による犯罪につながる。結局、戦争犯罪、平和に対する犯罪、人道に対する罪は計画的・組織的方法により行われ、共同犯罪であることを露顕するのである。それらは国家の力に依存し、まさに国家の犯罪である。したがって、国家の国際的責任と個人の国際犯罪の責任は彼らが相互補完的であったのと同様に相互補完的である。

60. 規範的意味における個人の基本的権利に対する重大な侵害の問題は現在まで十分な発展を遂げていないが、繰り返し焦点化した。例えば、ジュネーブ国際人道法4条約(1949)の第1追加議定書採択(1977 第85条)の直後のように、それが特別な注目を浴びる歴史的瞬間があった。1949年のジュネーブ4条約に記載された重大な違反(第1条約第49-50条、第2条約第50-51条、第3条約第129-130条、第4条約146-147条)は今日では慣習国際法の一部を構成すると考えられている。

61. 法学のレベルでは、重大な人権侵害の限界値は今日注目を浴び始め、国際刑事法の新しい判例法の枠組みの中で考察されている。それは国際人権法の分野における法解釈の中で、とりわけよく発展した。一つの例は人及び人民の権利に関するアフリカ委員会によるコンゴ民主共和国対ブルンジ・ルワンダ・ウガンダ事件(2003)の処理である。過去10年にこの関係において司法機関によって成し遂げられた最も有名な発展は米州人権裁判所による前記の一連の虐殺に関する決定であった。

62. この関係における、米州人権裁判所の判決としてとりわけ下記の事件が参照されるべきである。
プラン・デ・サンチェスの虐殺対グアテマラ(2004年4月29日)、マピリパンの虐殺対コロンビア、(2005年9月15日)、イトゥアンゴの虐殺対コロンビア (2006年7月1日), ゴイブル対パラグアイ (2006年9月22日、後記)、アルモナシド・アレジャノ対チリ(2006年9月26日)、カストロ・カストロ刑務所対ペルー(2006年11月25日)、ラ・カントゥタ対ペルー (2006年11月29日)。
国際人権法と国際刑事法の間には共通点を見出す余地がある。もうひとつの共通点は国際人権裁判所と国際刑事裁判所の手続における被害者自身の参加(彼らの法的な当事者適格)に見出される。

VIII. 当裁判所で主張された裁判を受ける権利に関する権利放棄の問題

63. (補償請求のための)裁判を受ける権利の放棄については、本裁判所における口頭手続において両当事者(ドイツ・イタリア)及び参加国(ギリシャ)の間で論争となった。ドイツは個人の補償請求権に関するイタリアの主張に対して、外国の主権免除の尊重は裁判を受ける権利に対する適法な制限であると主張した。また、実際の違反が終了した後に金銭賠償を放棄することを禁止するいかなる規則も存在しないとも主張した。ドイツは更に、仮にイタリアの主張が認められるとすると、ドイツと連合国軍の戦争法に対する違反についてドイツを原告及び被告とする大量の訴訟が提起され、第2次世界大戦後につくられた全ての補償計画の仕組みが崩壊する可能性があると主張した。ドイツは最後に、設立され た補償システムは包括的であり、被害国とドイツの利益の調和を図るものであると主張した。

64. イタリアは1947年の平和条約の請求権放棄条項は国際人道法違反を含むものではないと反論し、国際人道法への重大な違反に対する補償請求は1947年の平和条約第77条(4)の射程外であり、イタリアは放棄していないとの立場を繰り返し表明した。また、国際人道法違反に対する補償請求権は放棄していないというのが、1947年条約の当該条項の唯一の解釈であると主張し、仮にドイツに対するそのような全ての請求を放棄する趣旨であるとすれば、それはドイツが犯した全ての戦争犯罪を免責することになり、ジュネーブ条約体制のもとでは許されず、違法であると主張した。

65. イタリアは特に、イタリア軍人収容者の補償請求権について、彼らはナチスにより戦争捕虜の地位を剝奪され強制労働者として使役されたにもかかわらず、戦争捕虜であったという理由で「記憶、責任、未来」基金が提供する補償制度から除外さるという矛盾した取扱を受けたことについて言及した。イタリアは更に次のように主張した。 放棄したといわれている当時(1947年の平和条約および1961年協定)、それは犯罪として確立していなかったから、虐殺被害者の請求が放棄されたと考えることはできない。その上、そのような放棄の承認はそれらの犯罪の実行者は刑事責任を負うが民事責任を負わないという常識に反した状況を生み出すことになる。そのような結果は刑事責任には民事責任を伴うことを認める全ての現代の国際刑事法の発展とも相容れない。

66. ギリシャは1907年ハーグ第4条約第3条、1977年第1追加議定書第91条、国際赤十字委員会国際人道法成文化規則150(慣習国際法として。後記参照)、国際法委員会国家責任条文第33条(2)、及び国家実行を根拠に、国際人道法への重大な違反に対する個人の補償請求権の存在をギリシャ裁判所は承認したと主張した。ギリシャが特に強調したのはこの点であり(後記147項参照)、細心の注意が払われるべきである。

67. 実際に、本件手続の初期の段階で2010年7月6日の(イタリアの反訴請求を却下した)裁判所命令に対する私の反対意見において私はこの点を検討すべきであると考えた。 1907年ハーグ陸戦条約第3条は付属書の条項に違反した交戦国はその軍隊の構成員が行った全ての行為に責任を負い、賠償義務を負うと規定する。この条項の草案(ドイツ代表の提案により作成された)は補償の対象は前記の違反の被害者個人であるとの見解を支持していた。

68. 70年後、この条項は1949年国際人道法に関するジュネーブ条約の第1追加議定書第91条によって改正された。1907年の条項に対する違反についての国家責任の承認や、それ に伴い国家が被害者個人に対する補償義務を負うことについて、(1907年にも1977年にも)反対意見や議論はなかった。これについて前記の2010年7月6日の裁判所命令の反対意見の中で私は次のように述べた。

「歴史的な第2回ハーグ平和会議において、参加諸国は、武力紛争の(以前の国家実行のように敗戦国だけが勝者のためにするのではなく)全ての参加国に補償を義務づける一般的義務を記載することを決定した。これはドイツの提案をもとになしとげられ、ハーグ陸戦条約対3条に結実した。それは専ら国際人道法違反に対する補償制度実行のみを扱った初めての条項である。ドイツの提案に力を得て、1907年のハーグ陸戦条約第3条は国家よりも人間個人に権利を授与する意図を明らかにした。

1907年第2回ハーグ平和会議のこの遺産は現代のために計画されたものである。第2次大戦中(1943年から1945年の時期)に強制労働のために移送された人々の損害についての時間の経過は、補償を受けるための被害者の長期にわたる努力とともに専門家の著作において指摘されてきた。…それらの被害者は非人道的で屈辱的な待遇に耐えねばならなかったばかりか、その後、不処罰、無補償、明らかな不正義の中で報われない人生を終えた。人類の正義の時間は人間の時間とあきらかに異なるのである。」(主権免除(独対伊)、反訴請求事件、2010年7月6日命令、116-118項).


I
X. 国際法への重大な違反の被害者個人の権利の国家間における放棄の不承認

69. したがって、個人の裁判を受ける権利の重要性は疑問の余地がない。それらの重大な違反の事件では、個人の被害者はいかなる国家も介することなく自ら直接に国家責任を援用することができる。彼らはそれを国内法によるのと同様に、今日国連が想定している法の支配にしたがって国内レベルでも国際レベルでも行うことができる。伝統的な「統治行為」の理論は国家による人権と国際人道法への重大な違反については何の役にも立たない。

70. こうした事情の下で優先されるべきは補償請求のために裁判を利用する被害者個人の権利である。要するに1907年のハーグ陸戦条約第3条と1977年の第一追加議定書第91条は重大な違反の被害者らに国際的レベルで補償を受ける権利を授与しているのである。そして責任国は彼らに必ずそのような補償をしなければならない。近年国際人権法の分野においてこの趣旨の多くの実行が発展し、固有の権利を主張する個人を所属国から解放する要素の一つとなった。

71. やはり主権免除に関する本件の2010年7月6日の裁判所命令に対する私の反対意見において、私は国家は自らのために請求権を放棄することができるが国際法への重大な違反の被害者個人の権利を放棄することはできないという基本的立場を述べた。人権及び国際人道法への重大な違反の被害者の請求権は所属国による放棄や関係国間での放棄を許容するものではない(114-115項)。そのような趣旨の放棄であると主張されているものは、そのすべての法的効果を剝奪されるべきである(151、153項)。私は同反対意見において更に次のように述べた。

「私の理解によれば、いかなる場合にも個人の固有の権利についての国家による放棄は国際公序に反するものであり、いかなる法的効果も否定されるべきである。そのようなことは第2次世界大戦中や1947年の平和条約の時には認識されていなかったという、既存の権力に阿諛した古い実証主義者を思い起こさせる考えは、私の見解によれば根拠がない。国家は何の処罰も受けることなく組織的な集団殺害、虐待、奴隷化、移送、強制労働など、人間性に対する犯罪を犯し、その後他国との交渉による請求権放棄条項の障壁に隠れ、全ての請求を相手国との平和条約によって解決しようとする可能性があることが認められる。
この問題の重要性は第三帝国の時代やそれ以前にも、私の見解によれば全ての法の究極の源泉である人間の良心、普遍的な法的良心に深く刻み込まれていた。強制労働はドイツの第三帝国の時代には禁止されていなかったという考えは、古い実証主義者の独断によっても成り立たない。それは、武力紛争時においても平和時においても成り立たない。過去の個人に対する虐待への否認と非難が国際人道法の分野だけでなく、労働関係の基準(ILO条約による)においても明らかになったので、漸進的な制限がそれを禁止へと導いている。私の認識ではこれらのすべての要因が発生する前に…過去の重大な違反が良心の重荷となっていたため、奴隷化と強制労働は人間の良心により禁止された。」(124-125項)

72. ここでもう一度頑迷な国家中心思考を超えねばならない。本件の2010年7月6日の裁判所命令に対する反対意見の中で 私の国際法に関する考え方が多数意見のそれとは全く異なることを指摘した。

「頑迷な国家中心思考を超え、権利の究極の保持者である人間に手を差し伸べよう。彼らを圧迫するのではなく保護すべきである国家が人間の権利への深刻な侵害に対する補償請求を放棄しようとしている。

国家は望むのであれば国家自身の権利を放棄することができる。しかし、国家は権利への重大な侵害に対する補償請求権を放棄することはできない。それは個人の固有の 権利であって国家の権利ではないからである。これに関する放棄であると言われるいかなる行為も国際公序に反するものは強行規範への違反となる。この広い視野と高い価値基準はいわゆる国家の法(国際法、万民法)の『創始者』らの見解や私が現代国際法思想の中で最も明晰なものとみなす傾向と一致している。

国際法秩序を人間の苦痛や忘却される運命にある無辜の沈黙の上に打ち立てたり維持することはできない。20世紀の二つの世界大戦(1916年から1918年及び1943年から1945年の期間)の間に強制労働のための民間人の集団移送が行われた時、それは戦争犯罪や人道に対する罪を形成する違法行為であり、人権と国際人道法への重大な侵害である残虐行為であることをすでに誰もが知っていた。結局のところ、良心の上に立つ意思が、明白な不正義を取り除く究極的な力の源泉として法を発展させるのである。」(177-179項)


X. 裁判を受ける権利についての紛争当事者の立場

73. ドイツとイタリアは裁判を受ける権利について根本的に異なる理解をしている。双方とも裁判を受ける権利は実効的な救済と公正な裁判という2つの(補足的な)構成要素を含む基本的な権利であることについては同意する。しかし問題となっているケースについて、その範囲と実行の結果について争いがある。ドイツは裁判を受ける権利に伴う義務の範囲は国民と外国人に、差別と妨害なく裁判を利用する機会を保障することに限定され、実効的な救済と公正な裁判の保障についても同様であると主張する。これに対しイタリアは裁判を受ける権利は請求者側を充足させる義務を課すものであると理解する。イタリアは裁判を受ける権利の範囲を事件の結果にまで拡張し、外国国家に対する場合であっても、被害者側が利用できる他の実効的な救済手段がない場合には、裁判拒否を回避するために国内裁判所は主権免除を否定すべきであると主張する。

74. ドイツは裁判を受ける権利を非常に狭く解釈し、法廷地国の司法機関を差別なく完全な手続上の権利をもって利用することに尽きると主張する。この意味においてギリシャ市民が全く同じ機会を与えられたように、イタリア市民もドイツ法によりドイツ連邦憲法裁判所に至るまでの司法救済を完全に利用することができた。その上、ドイツは「原告は彼らが主張することができる真の法的請求権を有しているか」という問題により裁判を受ける権利と実効的な救済を受ける権利を区別する。

75. ドイツは次のように主張する。
戦争犯罪やその他の国際人道法違反から個人の補償請求権が生じることはなく、したがっ て(当然の結果として)訴訟の権利もない。同様に、1947年の平和条約と1961年の協定は戦争によるイタリア国民の損害について国家間の補償制度を創設したのであり、それを遡及的に変更することはできない。1907年ハーグ陸戦条約第3章の通常の解釈によれば、この条項は個人の補償請求権を創設したものではない。そのような個人の権利に言及した武力紛争被害者の補償に関する2005年の国連総会決議60/147や2010年のILA報告書草案は現存する慣習法や条約上の規則に依拠したものではなく、新しい規則の導入の提案にすぎない。したがって、これらの事件に対するドイツ裁判所の決定は裁判の拒否ではなく、イタリア国民が彼らの主張する実体的な権利を有していないことを認定したにすぎない。

76. ドイツは更に主張する。
仮にそのような訴訟の権利と補償請求権が認められるとしても、ドイツはそれを侵害していない。ドイツの司法制度の全てのレベルの完全な利用をすべての原告は認められており、イタリア市民やギリシャ市民から手続上の権利が侵害されたという主張がなされたことはなく、国籍によるいかなる差別も存在しない。仮に裁判を受ける権利が(加害国とされている)国家の裁判所で請求が認められなかった個人に外国の裁判所(そして場合によっては同時に又は連続して複数の国の裁判所で)で加害国とされる国家を訴えることを許容するものと解釈されるなら、甚だしい「裁判所あさり」が起きる可能性がある。

77. イタリアは、個人の補償請求権と、同じ理由による戦争被害に対する訴訟提起の権利は存在すると、非常に明確に主張する。イタリアは次のように主張した。
この個人の補償請求権は第1次世界大戦後のヴェルサイユ条約(第304条)と混合仲裁裁判所の創設に起源を求めることができる。ただし、この方式は第2次大戦後には採用されなかった。しかしながら、国際的な代替手続以外に国内の救済手段の利用も妨げられてはならない。実際にイタリア裁判所は平和条約や補償のための国家間の仕組みが提供されているにもかかわらず、イタリアに対する訴訟を許容している。
イタリアは更に裁判を受ける権利に対する各地域的及び世界的な人権保障機関の理解と、米州人権裁判所の判決(ゴイブル事件、後記第XVII節)に基づき、侵害された実体的権利が絶対的なものであれば裁判を受ける権利も絶対的権利であると主張した。

78. イタリアは、裁判を受ける権利は「有している権利の享受拒否」である裁判拒否からの保護の義務を伴うと主張する。例えばフェッリーニ氏をはじめとする人々がドイツの裁判所と行政機関で請求を認められなかったとき、唯一の法的手段としてイタリア裁判所にドイツを提訴したのである。そのような件についてイタリア裁判所でドイツ国家の主権免除を否定することは、被害者が他の全ての補償手段を奪われている状況下では被害者の裁判を受ける権利の実効的な行使のために必要である。

79. ドイツとイタリアは裁判を受ける権利について基本的に異なる立場を維持した。
この問題についてより詳細に述べて評価する前に(第XII節参照)、 裁判所の口頭手続における質問に答えた両当事者と参加国ギリシャの説明を次に検討するのが適当であると考える。そのような説明を検討したのち、論理的順序に従い本件のその余の側面を検討することにする。

XI. 裁判官の質問に対する両当事者及びギリシャの説明

1. 両当事者及びギリシャに対する質問

80. 2011年9月16日の口頭手続を終えるに当たり、私は当事者であるドイツとイタリア、そして参加国のギリシャに対し、各々が裁判所に提出した主張についての説明を求めるため、いくつかの質問をする必要があると考えた。そのときに私が行った質問は下記のとおりである。

「裁判所における言語的公平のため、私は他の法廷言語で質問する。
ドイツ、イタリア、ギリシャに3つの質問をする。
裁判所の弁論における主張や両当事者の見解のなかで、1961年のドイツとイタリアの協定と1947年の平和条約第77条(4)の請求権放棄条項の正確な射程をどのように考えているか? 補償問題は今日では完全に終了していると考えてよいのか?それとも、いくつかの問題が今日も未解決のまま残っているのか?

私のドイツとイタリアに対する第2の質問は次の通りである。
不法行為例外は業務管理行為にのみ適用されるのか? それとも主権行為も不法行為例外の対象と考えるのか?戦争犯罪を主権行為と考えるのはなぜか?

私のドイツとイタリアに対する第3の質問は次の通りである。
被告が言及した特定の原告らは補償を実効的に受けたのか?もしそうでないとすれば、彼らは国内の訴訟以外の方法でその権利を認めさせたり実効的に補償を受けることができるのか?人権と国際人道法への重大な違反に対する補償制度は未だに国家間レベルに限ると考えることができるのか?補償を請求する権利は広い意味での裁判を受ける権利と関係があるのか?そして、そのような裁判を受ける権利と強行規範にはどのような関係があるのか?

最後にギリシャに対する私の質問は次の通りである。

ギリシャの法制度において、マルゲロス事件に関するギリシャ特別最高裁判所の判決はディストモ事件に関するギリシャ最高裁判所判決にどのような法的効果を及ぼすのか?ディストモ虐殺事件に関するギリシャ最高裁判所判決はギリシャの法制度の内外で今も執行を停止されているのか?」

2. 第1回の回答

81. 確認のために、2011年9月16日の裁判所における口頭手続の末尾で私が行った質問に対するドイツ、イタリア、ギリシャからの回答を要約する。まず、紛争当事者であるドイツとイタリアの回答、次に参加国であるギリシャの回答について述べる。

(a) ドイツとイタリアの回答

82. 両当事者に対する私の第1の質問について、ドイツは、2010年7月6日の裁判所命令(特に27-28項参照)は1947年の平和条約と1961年の二つの協定が本件手続と関連性をもつと判断したと述べた。ドイツは第2次世界大戦に関する補償が未解決であるか否かは、本件の主題ではないという立場を繰り返し主張した。イタリアは、1961年の協定は1947年の平和条約の請求権放棄条項の範囲について当事者間に意見の対立が存在したことの結果であり、ドイツはその問題のためにいくつかの措置をとらざるを得なかったと反論した。そして、協定は一方で未解決の経済問題の補償の手段であり(「清算協定」)、他方では迫害被害者に対する賠償の手段であった(「賠償協定」)と主張した。

83. イタリアは更に次のように述べた。
清算協定はイタリアが請求権放棄条項についてのドイツの解釈を受け入れていなかったことを示す決定的な証拠であり、賠償協定は差別的な理由の標的にされた特定の類型の被害者を対象とするものである。1961年の協定は未解決の経済問題と迫害被害者への補償のみに関するものである。それらの協定は請求権放棄条項を含むが、それらは「協定の内容となった事柄に関するものに過ぎず、戦争犯罪に対する補償請求にまで拡張されるものではない」。イタリアは1947年平和条約の第77条(4)の請求権放棄条項についても、この条項は国際人道法に対する重大な違反に起因する補償請求には適用されないという立場を繰り返し主張した。

84. 両当事者に対する私の第2の質問について、ドイツは次のように回答した。
不法行為例外は軍隊の行為や本件で問題となっている武力紛争時の行為には適用されない。また、国家の行為は行為の性質により分類されるのであり、その行為の適法性とは関係が ない。この意味において主権行為が国際法の重大な違反となる可能性があり、国際法には国家責任や国家犯罪責任によって主権免除を剝奪したり制限することはないという確固とした規則がある。

85. 一方イタリアは次のように回答した。
補償問題は未解決であり、本件紛争において言及されている類型を含む数種の類型の被害者が補償資格を認められないままである。不法行為例外は業務管理行為にも主権行為にも適用され、これが適用される主権行為に対して主権免除を与える義務は存在しない。「不法行為例外が及ばないという結論を要求する固有の性質が主権行為に内在するのではない。不法行為例外は法廷地国で行われた不法行為に対する法廷地国の支配権や管轄権の要求にもとづいて正当化されるものである」。したがって、このような正当化事由によれば、不法行為例外は主権行為であるか業務管理行為であるかを問わず、法廷地国の域内で行われた外国の行為すべてに適用される。

86. イタリアはさらに、人道に対する罪や戦争犯罪は主権行為ではありえないから国家は防御のために主権免除を援用することはできないという見解をイタリアは認識しているが、主権免除の法のこの分野は変化の途上にあることを認めた。また、イタリア裁判所に提起された事件の特異かつ特有の事情の下でこの裁判所に提起された事件は、不法行為例外及び主権免除と絶対的規範の実効的な施行の間の両立しがたい抵触の存在という別の論点を基礎としたものであり、これらの論点はイタリアはドイツに免除を与える義務がないという立場を支持するものであると主張した。

87. 私の両当事者に対する第3の質問について、ドイツは再度2010年7月6日の裁判所命令に言及し、第2次世界大戦に関する補償問題は未解決なのかと言う問題は本件の主題ではないと主張した。ドイツは第2次世界大戦の補償体制は古典的な国家間及び包括的な制度によるものと考えている。ドイツはさらに、ドイツに対して請求しようとする被害者はヨーロッパ人権条約第6条(1)の裁判を受ける権利保障にしたがって、ドイツの裁判所で訴訟を提起することができると主張した。

88. 一方、イタリアは次のように回答した。
本件紛争の基礎をなす事件で言及された類型の被害者で補償を受けたものはいない。10年にわたり補償を得ようと試みた人々は何の成果もあげられなかったにもかかわらず、補償制度が整備されないため、いくつかの類型の被害者らは補償を請求することができずにいる。ドイツ側にはそれらの類型の被害者らに補償をするための協定を成立させようという意思がないように見える。これらの類型の被害者が補償を受けるためには、国内裁判所における訴訟以外の手段は存在しない。例えば「イタリア軍人収容者」に補償を行うための 協定の締結に対するドイツ当局の強い拒否感を考えると、国内裁判官が主権免除を否定しなかったなら戦争犯罪の犠牲者が補償を得るための他の方法は存在しなかった。

89. 続いてイタリアは次のように述べている。
人権と国際人道法への重大な違反に対する補償制度は国家間レベルに限定されるものではなく、被害者個人は国内裁判所において請求することができる。そして、国内裁判所に訴えることが何らかの補償を得るために利用できる唯一で最後の手段を意味する場合には、主権免除の否定は正当化される。「特定の事情のもとでは外国に主権免除を与えることによる裁判の拒否は実効的な補償の拒否を意味する可能性がある」。また、強行規範の概念は根本的な規則の領域に限定されるものではなく、そのような性格を有する規範が命じる義務への重大な違反の事例において利用可能な救済策に関するものでもある。個人の裁判へのアクセスを妨げる規則と強行規範の実効的な施行の間に抵触が存在し、強行規範の実効的な施行のための他の方法がない場合には「強行規範を優先して主権免除を否定し、被害者個人への裁判へのアクセスを認めるべきである」。

(b) ギリシャの回答

90. 私の知る限りではハーグ裁判所史上初めて非当事者である参加国に対して行われた私の質問に対し、ギリシャは次のように回答した。
特別最高裁判所は最高裁判所として位置づけられるものでもギリシャの司法体系を構成する裁判所でもなく、ギリシャにおける独特な法的地位のものである。また、特別最高裁判所は独立した非常設機関であり、ギリシャ司法機関の階層関係の中に位置づけられない。そして、「今日の国際法の発展のなかで」慣習国際法を発見したり定義したりすることは特別最高裁判所の機能のひとつである。この機能の分野では、その判決は限られた効力しかもたず、特別最高裁判所にその問題を提起した裁判所のみを拘束する。特別最高裁判所の判決は対世的既判力をもたない。それは通常の裁判所や特別最高裁判所が後に慣習法が存在するという説に何らかの変化があったか否かを判断するのためのものである。

91. ギリシャはさらに次のように述べた。
特別最高裁判所の判決は常に「同時代の国際法の発展段階とそれが一般的に受け入れている規則」において示される法的確信についての考察を反映している。マルゲロス事件の判決は、この判決に優先し異なる事件と考えられているディストモ虐殺事件最高裁判所判決の法的意味に何の影響も与えない。この意味において最高裁判所判決は「最終的で取消不能であり、執行は停止されているが、ギリシャの法秩序の中で効力があり、法的効果を生じている」。法務大臣が最高裁判所判決の執行を承認しなかったことは判決が「意味を失ったり、執行不能になったり」することを意味するのではない。ディストモ判決は「現在も 有効である」。

3. 第2回の回答

92. 私が裁判所の口頭手続で行った質問に対する回答について、各当事者が意見を述べるのが適当であると思われた。これらの意見は各当事者の第2回の回答となっている。これらについても同様に、裁判所における主権免除に関する本件の両当事者の立場の相違を明らかにするために再確認して要約することにする。

(a) ドイツの意見

93. ドイツは私の質問に対するギリシャの回答についてのみ意見を述べた。ドイツはまず、ギリシャ憲法第100条(1)とギリシャ特別最高裁判所に関するギリシャ法No. 345/1976第54条(1)に言及し、特別最高裁判所の決定は後者の条項によるものであると述べた。これに基づいてドイツは、2002年のマルゲロス事件判決以降「第2次世界大戦中の主権行為についてドイツの主権免除を否定したギリシャ裁判所は存在せず、ディストモ事件判決を執行する措置もとられていない」と述べた。ドイツはさらに、特別最高裁判所の法理を踏襲したギリシャ最高裁判所の2件の判決(2007年及び2009年)によれば「国際人道法に対する重大な違反への訴えが事件の内容であったとしても、主権免除規則は影響を受けない。」と述べた。

(b) イタリアの意見

94. 一方イタリアは私の第1の質問(前記)に対するドイツの回答の一部について次のように意見を述べた。
ドイツの主張に反し、2010年7月6日の裁判所命令からドイツが引用した部分の結論はイタリアの反訴請求の許容性の問題に厳密に限定されたものであり、ドイツの主たる請求で提起された問題の解決に影響を与えるものではなかった。ドイツの主たる請求についての本案におけるイタリアの主張、とりわけ戦争犯罪に対する補償義務は主権免除に特別な影響をあたえるという主張を裁判所は引き続き検討しなければならない。

95. 私の第3の質問に対するドイツの回答についてイタリアは下記のように意見を述べた。第2次世界大戦に関して創設された補償制度は「包括的」であるとドイツは説明するが、戦争犯罪のイタリア人被害者に関する補償は「部分的」なものであることを書面及び口頭による主張を通じてドイツ自身が認めている。1961年協定は迫害被害者のみに関するものであった。このような補償制度を「包括的」と特徴づけることは、特に戦争犯罪のイタリ ア人被害者については適切でない。また、ドイツの主張はおびただしい数のイタリア人戦争犯罪被害者に何らの補償もなされて行われていないことを明らかにした。

96. イタリアは最後に、イタリアは1943年9月8日までドイツの同盟国だったので戦争犯罪のイタリア人被害者は補償を受けられないというドイツの主張に反論した。

「それは、開戦法規違反に対する責任制度と国際戦時法の条項に違反した結果の混同、特に国際人道法への重大な違反に対する特別な責任制度への無知による誤りである。」

私の第3の質問に対しても、イタリアは次のように主張した。
「イタリア人被害者がドイツ裁判所に提訴したことは、彼らが補償を得るための実効的な法的手段を与えられたことを意味しない」。ドイツ法はイタリア人被害者の補償について多くの「不当に制限的な要件」を課した。


XII. 第2次世界大戦当時における強制労働の禁止

1. 規範的禁止

97. 第2次世界大戦当時の強制労働に対する法的規制は1932年に発効した1930年の強制労働に関するILO29号条約に基づくものであった。同条約は強制労働の全面禁止を最終目標として強制労働に対するさまざまな制限と禁止を規定した。例えば戦争捕虜をいかなる方法によっても作戦行動に関連する労働(武器・弾薬の製造・運搬)や不健康又は危険な労働に従事させてはならないことをはっきりと規定した(31-32条)。そして違反があった場合、労働者には異議申立の権利があり、懲罰の手段として加重労働を課してはならないとされていた(31条)。

98. 時がたつにつれ強制労働を含む別の状況が強いられてきたとはいえ、威圧や刑罰の威嚇による労働という意味での強制労働(第2条(1))は1930年ILO29号条約以来非難され明確に禁止されてきた。この条約を受けて、一般的な受容に現実的に対応するために1957年強制労働廃止条約が採択された。私が本件の2010年7月6日反対意見(130-132項)で述べたように、それらの条約の基礎をなす強制労働廃止をめざすという一般国際法上の原則は、今日では強行規範の領域に属している。

99. その上国際人道法の分野において、1907年ハーグ陸戦条約と1929年ジュネーブ戦争捕虜条約は第2次世界大戦中の武力紛争時における戦争捕虜と民間人の待遇を規制した。1929年ジュネーブ条約は戦争捕虜について不健康または危険な強制労働の禁止を追加した(28-34条)。さらに、同時代の強制労働禁止に関するものとして1926年ジュネーブ奴隷条約がある。同条約は「強制労働が奴隷類似状態に深化することを防止する全ての措置をとる」国家の義務を明確に課した(第5条)。

100. 前記1907年ハーグ陸戦条約は、陸戦における法規及び慣例に関する規制として、占領地の住民に対する強制労働に関し「その本国に対する作戦行動」参加強制の禁止をつけ加えた(第52条)。ドイツは1907年10月18日にこの条約に署名し、1909年11月27日に批准した。ちなみにドイツは強制労働に関する1930年ILO29号条約を1956年6月13日にようやく批准したことを注目すべきである。仮にこの遅い批准により、1956年中ごろまではこの条約にもとづく裁判権から免れるとしても、いずれにせよナチスドイツの責任がなくなることはない。すでに第2次世界大戦の当時、誰も強制労働の不当性をあえて否定しなかったであろう。

101. ナチスドイツが創設した強制労働制度は、占領地域の住民の一部を重労働を強制するために支配し、私人により踏みにじられた奴隷と類似した境遇に永続的に置くというものであり、「奴隷化」と同義であると言うことができる。強制労働者を疲弊させて死亡させることがドイツ当局の方針であった。時には彼らは働くことができなくなった強制労働者を積極的に殺害することもあった。そのような状況は彼らの方針が「奴隷化」の定義に該当することを示している。

2. 禁止に対する司法的承認

102. そのようなナチスドイツの国家政策は第2次世界大戦直後のニュールンベルグ国際軍事裁判の審理と判断に影響を与えた。1945年のニュールンベルグ裁判憲章は戦争犯罪の一種として「占領地所属もしくは占領地内の民間人の……奴隷労働もしくはその他の目的のための追放」(第 6条 (b)) を挙げ、人道に対する罪の一種として「戦前もしくは戦時中にすべての民間人に対して行なわれた……奴隷化、追放及びその他の非人道的行為」(第 6条 (c))を挙げた。前記のように、強制労働と奴隷化の禁止は一般国際法、ILOの国際文書、国際人道法の中ですでに確立されていた。

103. それはニュールンベルグ裁判の審理を通じて司法的にも承認された。具体的には第2次世界大戦中の奴隷労働の問題はニュールンベルグ裁判において主たる戦争犯罪のケースとして審理され(1946年10月1日判決)、同裁判所憲章第6条(b)の「戦争犯罪。すなわち、 占領地所属もしくは占領地内の民間人の……虐待、奴隷労働もしくはその他の目的のための追放」との規定が適用された。同裁判所はさらに「占領地住民の強制労働に関する法は1907年ハーグ陸戦条約第52条に見出される」と指摘した。

104. これについてニュールンベルグ裁判所は「ドイツ占領当局の政策は1907年ハーグ陸戦条約の規定に対する著しい違反であった」と結論づけた。そして、「この政策は1941年11月9日のヒトラー演説の言葉から発想されたものと思われる」、「ドイツの占領当局は占領地住民の多くをドイツの戦争遂行のために働かせ、少なくとも500万人をドイツに移送し工業や農業に従事させた」、また「占領された国々の住民はドイツの戦争経済を支えるために占領地内で徴用され、労働させられた」、「多くの場合には彼らはドイツの要塞や軍事施設で労働させられた」と判示した。

105. ニュールンベルグ裁判所が引用するヒトラーの言葉からみて、第2次世界大戦中のドイツ軍需工業における占領地住民の広範な強制労働はナチスドイツの国家政策であったことに疑いの余地はない。そのような国家政策は、条約及び慣習法の両面において国際法に対する重大な違反であった。

106. 具体的には、労働者らにドイツでの労働への志願を勧める猛烈なプロパガンダキャンペーンが繰り広げられ、ドイツに行くことを拒否した労働者と家族を警察が威迫するケースもあったとニュールンベルグ裁判所は述べた。同裁判所に提出された証拠は労働者はドイツの監視下で輸送され、しばしば適切な食料、暖房、衣類、衛生設備も与えられることなく列車に詰めこまれ、ドイツにおける労働者の待遇が多くの場合残忍で粗野なものであったことを示した。また、多くの戦争捕虜は1929年のジュネーブ条約第31条に違反して作戦行動に関係する労働に直接送り込まれたと認定した。

107. ニュールンベルグ裁判所は、同裁判所が適用した慣習的規則について次のように述べた。

「憲章第6条は次のように規定する
(b) 戦争犯罪。 すなわち戦争の法規又は慣習に対する違反。この違反は、占領地所属もしくは占領地内の民間人の殺害、虐待、もしくは奴隷労働もしくはその他の目的のための追放、俘虜もしくは海上における人民の殺害もしくは虐待、人質の殺害、公私の財産の掠奪、都市町村の恣意的な破壊又は軍事的必要により正当化されない荒廃化を包含する。ただしこれらに限定されない。

(c) 人道に対する罪。 すなわち戦前もしくは戦時中にすべての民間人に対して行なわ れた殺人、殲滅、奴隷化、追放及びその他の非人道的行為、又は犯行地の国内法の違反であると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として、もしくはこれに関連して行なわれた政治的、人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為。…

裁判所はニュールンベルグ憲章によって与えられた戦争犯罪と人道に対する罪の定義に当然に拘束される。しかしながら既に指摘したように、戦争犯罪については、ニュールンベルグ憲章第6条(b)が定義する犯罪はすでに国際法において犯罪と認められていたものである。それらは1907年ハーグ陸戦条約第46, 50, 52, 56条及び1929年のジュネーブ条約第2, 3, 4, 46,51に規定されていた。これらの条項に対する違反がそれを実行した個人を処罰すべき犯罪を構成するという法理は確立しており、抗弁を認める余地はない。」

108. ニュールンベルグ裁判所はさらに、1907年ハーグ陸戦条約に規定された規則は1939年までにすべての「文明国」によって認められ、ニュールンベルグ憲章第6条(b)で戦争の法規及び慣習として成文化されたと考えられるようになったと認定した。人道に対する罪についてニュールンベルグ裁判所は「テロ政策は疑いなく広い範囲で実行され、多くの場合組織的、系統的であり」「1939年の戦争前に迫害、抑圧政策と政府に敵対するとみなされたドイツ市民に対する虐殺」が「全く容赦なく実行された」と認定した。同裁判所は「1939年の開戦時から広い範囲で戦争犯罪が行われ、それは人道に対する罪にもあたるものであった。」「それらの犯罪は侵略戦争の遂行又はそれと関連して行われ、したがって人道に対する罪を構成する」と結論づけた。

109. 極東軍事裁判所(東京裁判)においても、1948年11月12日判決は徴集方法や収容施設への監禁等、強制労働の利用について関心を表明した。東京裁判はさらに「徴用工と戦争捕虜や民間人収容者の間には」ほとんど区別がなく、全て「奴隷労働者」といえるものであったと述べた。

110. 現代では、欧州人権裁判所に第2次世界大戦の生存者が提訴したコノノフ対ラトビア事件(2008〜2010)おいて、同裁判所は民間人に対する支配と虐待が第2次世界大戦のはるか以前からすでに禁止されていたと判断するためには第1,2ハーグ平和会議(1899年及び1907年)から第2次世界大戦後(ニュールンベルグ裁判、東京裁判、1949年のジュネーブ会議)にいたる国際人道法の発展についての検討を行うことが適切であると指摘した(2008年7月24日判決)。

111. 同様の論理により、同裁判所はコノノフ対ラトビア事件最終判決(2010年5月17日、大法廷)において、村民(非戦闘員)に対する「虐待と殺傷」が1907年ハーグ条約の当時 すでに「戦争犯罪」を構成していたことを確認するためには19世紀の法制から第2次世界大戦後までの国際人道法の発展をさらに深く検討することが適切であると述べた。同裁判所は特に次のように判示した。

「戦争犯罪の概念は何世紀もさかのぼることができるが、19世紀中頃は戦争犯罪を構成し個人が犯罪責任を負うべき行為について確固とした法制化が行われた時期であった。1907年のハーグ陸戦条約及び規則は1863年のリーバー戦時法典(1880オックスフォード提要)と、とりわけ1874年のブラッセル宣言に触発された。1907年のハーグ陸戦条約及び同規則は戦争の法規と慣例の宣言として初期の法制の中で最も影響力をもつものであった。それらは特に、重要な概念(戦闘員, 民間人大量徴用,戦闘能力喪失者)を定義し、戦争法規慣例に対する違反を詳細に列挙し、マルテンス条項を通じて1907年のハーグ陸戦条約及び規則の特定の条項によりカバーされない場合に住民や交戦国民を一般的に保護した。この点について軍隊に対して常に訓令を発し、軍隊がこれらの規則に違反した場合に賠償する責任は国家にあった。」

112. 同裁判所は「ハーグ」と「ジュネーブ」の国際人道法を再検討した後、19世紀後半から20世紀世紀前半にかけて「後者が前者を補足し」たと述べた。さらに、ニュールンベルグ裁判憲章が「戦争犯罪の非網羅的な定義」を提供し、その判決は1907年のハーグ陸戦条約及び規則に定められた人道規則が「『戦争法規・慣例の宣言』であり、それらの条項への違反は違反した個人を処罰すべき犯罪を構成すること」が1939年までに徐々に認識されるようになったことを認めたと述べた。(207項)。

113. そして同裁判所は「国際法と国内法(国際規範から移入されたものを含む)は国内の刑事・民事の責任追及の基礎となった」と述べた(208項)。
上記の考察によれば、要するに第2次世界大戦のはるか以前から、(強制労働のような)民間人虐待は違法であって、戦争犯罪であり、国家と個人はその責任を負うことが司法的に認められていたことは明らかである。

3. 成文化作業における禁止

114. 奴隷制の一種としての強制労働の禁止はすぐに達成できるものではなく、それを根絶するための長い時間が必要であり、今日においても未だに残存しているという事実を念頭に置かねばならない。奴隷労働としての強制労働に対する闘いは繰り返し注目を浴びている。この関係において、例えばフェルゼイル (J.H.W Verzij) は1958年に過去の非難されるべき虐待や恥辱に対処するいかなる試みも「比較的最近」のことであることを「認めなければならないのは衝撃的」であると指摘した。したがって、

「公式な奴隷制度禁止は密かに又は公然と農奴制度がはびこっていた19世紀を通じて少しずつ不承不承に行われたにすぎないという屈辱的な歴史的証拠を認識すれば、1956年において奴隷制度、奴隷貿易、過去から生き残って未だに存在している悪徳である奴隷類似制度や慣習を禁止する条約の締結は依然として必要といえる。」

115. 国連国際法委員会(ILC)は同委員会と国際連合の草創期においてニュールンベルグ裁判憲章と同判決(1950)において認められた国際法原則を定式化したが、その中の「戦争犯罪」には「占領地住民に対する奴隷労働その他の目的のための追放」が含まれ(原則Ⅵ(b))、「人道に対する罪」には「すべての民間人に対して行われる奴隷化、追放、その他の非人道的行為」が含まれていた(原則VI (c))。1950年に定式化されたそれらの原則はすでに永い間世界の司法的良心のなかに深く刻み込まれていた。それらの犯罪も同じように、すでに永い間禁止されていた。

116. 奴隷制度の一種としての強制労働の禁止を成文化しようという努力は20世紀中頃の国連国際法委員会によるものだけではなく、数年前に国際赤十字委員会(ICRC)によっても行われた。国際赤十字委員会が国際慣習人道法と題して2005年に出版した研究結果によれば、無給で虐待的な強制労働は禁止されており、同研究はそのような強制労働禁止は「国際的、非国際的な武力紛争に適用される国際法規範」の地位に到達していると主張する。

4. 国際犯罪と強行規範による禁止

117. 第2次世界大戦までに奴隷労働の一種としての強制労働はすでに国際法によって禁止されていた。第2次世界大戦のはるか以前、第1次世界大戦より前にその不当性は広く認められていた。今日においても継続されているように、平和時及び武力紛争時を問わず不法な行為が継続されていたことは、その問題において法が欠缺していることを意味しない。違反が行われたとしても国際法による禁止が存在をやめるわけではない。その反対に、そのような違反を行った者が法的責任を負うことになる。

118. すでに20世紀初頭、1907年ハーグ陸戦条約前文は、同条約に採用された条項に含まれない場合にも「人道の法則」と「公共良心の要求」の支配を受けるという、マルテンス条項をとり入れた。何人も慣習国際法による軍需工業における強制、奴隷労働からの保護の範囲外に置かれるべきではないことについて正当な配慮がなされた。そのような保護は第3帝国の不吉な悪夢と恐怖のはるか以前から国際法により人類に与えられていた。

119. このような考えから、本件の2010年7月6日裁判所命令に対する私の反対意見で (144-146項) 、(ここで触れる必要はないが、本件における当事者自らの提起を考慮して)、私は軍需工業における強制・奴隷労働の絶対的禁止の強行規範の発生について注意を喚起した。これについて私は次のように述べた。

「実際、私たちは第2回ハーグ平和会議(1907)より以前の第1回ハーグ平和会議(1899)の時代までさかのぼることができる。……第1回ハーグ平和会議の時代である19世紀の末までに、国家は個人に対する虐待(例えば、強制労働のための民間人移送)について不法行為責任を負うことがあるという考えが存在した。これはその後の時代の、戦争犯罪と人道に対する罪についての国家官僚個人の刑事責任を予告するものであった。

人類の良心の漸進的な覚醒は、万民法(国際慣習法)上の犯罪からニュールンベルグの遺産としての国際人道法違反(戦争犯罪と人道に対する罪の形で)、さらに国際人道法への重大な違反 (1949年国際人道法に関するジュネーブ4条約及び1977年第1追加議定書)への概念の進化を実現した。同様に人類の良心の漸進的な覚醒によって人類は保護の対象であることをやめ、権利の主体と考えられるようになり、基本的な生命の権利にはじまり、尊厳ある生活の権利の主体となった。

人類は平和時だけでなく武力紛争時もあらゆる環境下において権利の主体と認められた。平和時については、1948年の世界人権宣言のずっと以前である両大戦間の時代、国際連盟のもとでの少数者保護制度と委任統治制度の先駆的な実験は国際法(進化した万民法)から直接に生じた権利を主張するために国際的手続に直接参加する資格を個人に与えた(各々、少数者委員会、委任統治委員会)。武力紛争時については、同じように1907年からの第2回ハーグ平和会議以来、人類は戦後補償請求の資格を認められた。」(144-146項)

120. そのような戦後補償請求の権利が第2次世界大戦終了のずっと以前から認められていたのであれば、国家が他国との合意によって放棄することはできないはずである。これは恣意的な拘束、追放と軍需産業での強制労働による虐待とおびただしい人的損害の犠牲となった人間の固有の権利についても同様であった。私はこの点についてすでにこの反対意見のなかで考察した(前記第Ⅶ節参照)。
私は次に両当事者と参加国の強行規範と免除否定についての口頭における主張、さらに個人の裁判を受ける権利のための主権免除否定の問題について扱うのが論理の流れとして適当であると考える。

XIII. 強行規範と免除否定についての当事国及び参加国の口頭による主張

121. ドイツは強行規範と主権免除について、ここで問題となっているのは国際法の根本的な規則であり、(違反の結果のような)副次的な規則ではないと主張した。そして一般国際法において二つの規則の間の抵触は存在せず、どちらかの規則が他の規則の実行のために緩和されるのかという問題があるだけであり、本件においては何らかの形で主権免除原則が緩和されてきたことを国家実行は示していないと主張した。

122. 一方イタリアは、強行規範は国家責任の領域や国際法違反の防止に対して影響力を有すると主張する。イタリアの立場によれば、特別な場合において強行規範の実施のために主権免除を否定する権利が生ずる。したがって、そのような強行規範違反のケースにおいて主権免除を否定してドイツによる継続的な違反を終らせたイタリア破毀院決定は正当である。

123. ギリシャは次のように主張した。
ギリシャ裁判所によれば、絶対的な性格を付与された規則が侵害された場合、主権免除は認められ得ない。実体法(強行規範)と手続法(主権免除)を区別しようとする試みは法的価値がない。手続法が実体法である強行規範に優先することはありえない。それでは絶対的な規範に対する重大な違反を行った国家を免責する結果となるからである。その上そのような区別は国際的な法律文書の中で認められた実効的な救済の権利を阻害する。したがって、そのような規則を適用するための(主権免除に阻害されず)裁判を受ける実効的な権利が認められるべきである。

124. ドイツは次のように反論した。
主権免除を否定する決定はすべての平和条約が補償を求める民事訴訟(イタリア自身がそのような訴訟の対象となる可能性がある)によって傷つけられる可能性があり、平和協定や「合意は守られなければならない」という原則自体を不安定にする。また、公共の利益は個人の利益によって傷つけられるべきではなく、したがって、人権は国際社会の構造を危うくする場合には認められるべきでない。

125. イタリアはこれに再反論した。
裁判所に求められているのは本件を特異なものにしている特殊な事実関係にもとづいたイタリア裁判所の判断の合法性についての審査であるから、ドイツが主張するように裁判所の決定が国際的な司法制度全体に破滅的な結果をもたらすとは考えられない。また、イタ リアの主張は個人が違反した国の裁判所において目的を達成しなかった場合にのみ自国の裁判所で裁判を受ける権利を有するというものであり、「補足性の原則」に近いものである。

126. ディストモ虐殺に関するギリシャ最高裁判所の判決について、ギリシャはギリシャ裁判所における手続と判断について詳細に説明し、次のように主張した。
ギリシャ特別最高裁判所は「憲法裁判所」ではなく、法律の合憲性に関する限られた状況においてのみそのような役割を果たし、他国の例のようにその判断が国内の法秩序の中で優先権をもつものではない。したがって、ギリシャの法秩序の中における判決の効力には若干の疑問が提起されるが、ギリシャ最高裁判所のディストモ虐殺事件判決が覆されたとみなされるべきではない。

127. これに関してドイツは次のように主張した。
ギリシャの主張にも関わらず、マルゲロス事件特別最高裁判所決定以降にはその判決が拘束力ある判例となり、ギリシャの法秩序は主権行為についての主権免除に対していかなる制限も認めていないことは事実である。また、イタリア裁判所がディストモ事件ギリシャ判決の効力を認め執行したことによりドイツの主権免除を侵害した。これについてヴィッラ・ヴィゴーニに対する裁判上の抵当権の違法性をイタリア代理人が受け入れたこと、及びその状況を回復するイタリアの意思を留意する。

128. これに対しイタリアは次のように主張した。
ディストモ虐殺判決の執行は主張されているようなフェッリーニ判決によって引き起こされた「法廷あさり」の結果ではなく、外国判決の承認手続には主権免除を与えなければならないという原則は存在しない。ギリシャ裁判所がフェッリーニ事件と類似の状況において同じ理由によりドイツの免除を認めなかった以上、イタリアはドイツに免除を与える義務はない。

129. 私の理解によれば、国際法秩序を危険にさらしたり不安定にしたりするのは裁判の追求の中での補償請求の民事訴訟ではなく、国際犯罪である。私の認識では、国際法秩序を煩わせているのはそのような国際犯罪を犯行者の不処罰によって隠ぺいすることであり、被害者による裁判の追求ではない。国家が自国民の一部や他国民の殺害という犯罪的政策を追求した場合、その国家がその後主権免除の陰に隠れることは許されない。主権免除はそのような目的のために持ち出されてはならない。国際犯罪を構成する人権や国際人道法への重大な違反は主権行為ではありえない。それらは反法律的行為であり、簡単に消し去られたり主権免除によって忘却されるべきではない。それは裁判の利用を妨げ、不処罰を招く。これは強行規範への侵害は主権免除の要求を排除し、裁判が実行可能になるという あるべき姿の対極である。

XIV. 主権免除と裁判を受ける権利

1. 欧州人権裁判所判例における広範な緊張関係

(a) アル・アドサニ事件 (2001)

130. 裁判を受ける権利と主権免除との間の緊張関係は欧州人権裁判所(ECHR)の近年の事例の中に存在していた。リーディングケースであるアル・アドサニ対英国事件(2001)は英国・クウェート二重国籍者である原告がクウェートで当局に拘束されていたときに受けた拷問に対する民事訴訟について、英国裁判所がクウェートの主権免除を認め原告の裁判を受ける権利を保護しなかったことは、ヨーロッパ人権条約第6条及び第13条に違反するとして英国を訴えた事件である。

131. 2001年11月21日判決において欧州人権裁判所 (大法廷)は、拷問禁止は国際法において強行規範の地位にあることを認めたが、国家が「拷問行為について訴えられた民事訴訟については、もはや法廷地国において主権免除を享受することができない」と結論するだけの確固たる根拠を見出すことができなかったと判示した。欧州人権裁判所 (大法廷)のこの決定は賛否9対8で行われた。多数意見の論法の欠陥はロザキス、カフリスチ両裁判官にヴィルトハーバー、コスタ、カブラル・バレット、ヴァジック裁判官が同調した共同反対意見によくまとめられている。彼らは強行規範と国際法のその他の規則が抵触する場合には前者が優先し、その結果、絶対的規則の内容に矛盾する規則は法的効力をもたないと正しく結論づけた。

132. 私の理解によると、反対意見の裁判官らは多数意見の論理の問題点の核心に触れている。多数意見とは異なり、彼らは拷問禁止が強行規範であるとの判断から正当な結論を引き出した。即ち、国家は拷問に対する賠償を求める外国裁判所における民事訴訟を無効にして自らの行為の帰結から逃れるために主権免除規則の陰に隠れることはできないということである。反対意見は多数意見によって引かれた刑事、民事手続の区別は、強行規範の作用においてそれほど本質的なものではないとも主張した。実際、問題の手続が刑事訴訟なのか民事訴訟なのかということは重要ではない。本質的な問題は強行規範違反があり、従っていかなる司法的障碍も「関係する国際法規則の相互作用により」解除されねばならないということである。

133. 同様に、ルーケイド裁判官はその反対意見の中で、拷問禁止が真に強行規範であるこ とを受け容れる以上、拷問行為の責任を対象とする手続においていかなる免除も認められない結論になると述べた。裁判所の多数意見が拷問禁止は強行規範であるという認定からアル・アドサニ事件の状況では主権免除の要求を否定する効果を有するという適切な結論を引き出すことができなかったのは大変遺憾である。しかし、裁判所の多数意見は少なくとも主権免除の慣習法としての性格と、それが過渡期的な状態にあること、(国家が主権行為を行う場合にも)主権免除に制限が加えられる可能性を認め、 正しい方向への将来の発展への道筋を閉ざさなかった。

134. 本件において、イタリア裁判所は強行規範の地位を有する規範に対する違反が民事訴訟における主権免除の要求に与える効果について必要な法的結論を正しく導き出した。本件は絶対的規範への違反が行われ、これらの違反に対するドイツの責任については争いがないという事実が基礎になっている。したがって、欧州人権裁判所のアル・アドサニ事件反対意見の論理にしたがえばドイツは外国(イタリア)裁判所における強行規範違反への補償を求める手続において主権免除規則の背後に隠れることはできないという結論になる。これに関し、アル・アドサニ事件においては訴えられた行為が実行されたのは法廷地国ではない(クウェートで実行された)のとは異なり、イタリア裁判所に係属した請求に関連する犯罪のいくつかは、その全部又は一部がイタリア自身の領域で実行されたということを看過することはできない。

(b) マケルヒニー事件 (2001)

135. マケルヒニー対アイルランド事件(2001)は原告を狙撃したイギリス兵と北アイルランド国務長官に対してアイルランドで提起された損害賠償訴訟に関する事件である。国内裁判所は英国が主張した主権免除を根拠に彼の請求を棄却した。欧州人権裁判所(大法廷)は2001年11月21日の判決で、法廷地国の領域における作為・不作為による人間の傷害について「国際法と比較法の趨勢は主権免除の制限に向かっている」ように見えるがその実行は「普遍的とはいえない」と判示した。さらに、12対5の評決によりアイルランド裁判所の判断は個人の裁判を受ける権利に対する適正な制限を範囲を超えていなかったと認定した。

136. 多数意見に反対する5人の裁判官のうち2人(ロザキス、ルーケイド)は、彼らの各々の個別反対意見において、多数意見の判断は国際法の発展を考慮せず、裁判を受ける権利を不当に制限し、この権利の本質を著しく傷つけていると主張した。ルーケイド裁判官はさらに次のように主張した。

「国際法における主権免除は、個人の権利が事実上存在せず、国家が司法手続の濫用 による嫌がらせに対する防御をより必要としていた時代に発生した。現代では主権免除の原則はますます多くの制限に従っており、個人の立場の強化という人権の分野の発展の見地から適用が制限される傾向にある。」

137. 他の3人の反対派裁判官 (カフリスチ、カブラル・バレット、ヴァジック)はその共同反対意見において、国連主権免除条約第12条の下では「外国の官吏の行為についての損害賠償訴訟について国家がその外国に主権免除を与える国際的義務」はもはや存在しないとして、やはり(本件において不当に制限された)欧州人権条約第6条(1)による裁判を受ける権利の優先を支持した。彼らはさらに次のように主張した。

「主権免除原則はかなり以前から国家を裁判所の管轄権から免除する包括的規則ではなくなっていた。……
裁判権(及び執行権)に対する絶対免除主義は国家取引の出現により、20世紀の最初の25年間に動揺し始めた。……
絶対免除主義に対する例外は、まず大陸法国家、かなり後に英米法国家の国内法や裁判所において徐々に認められていった。……
問題の例外、特に不法行為例外は国際法の中にも入りこんで行った。」

138. 本件では、イタリアが主張するように、原告らはドイツ裁判所において訴訟を提起したが成果を上げることができなかった。したがって、北アイルランドで訴訟を提起することが可能であったマケルヒニー事件の原告に対する欧州人権裁判所の論理は元の事件の原告らがイタリア裁判所に提起する前に他の方法を追求している本件の事情の下では直ちに適用されない。本件では実効的に権利を守るための合理的な他の手段が存在しなかった。

(c) フォウガティ事件 (2001)

139. フォウガティ対英国事件 (2001年11月21日判決)は雇用紛争に関する事件である(在ロンドン米国大使館元職員による不当待遇と差別の訴え)。欧州人権裁判所はこの件において、国際法と各国の法は雇用関係の紛争において主権免除を制限する方向にあると認めた。さらに、国連国際法委員会が手続の内容が在外公館を含む職員の採用であるときには主権免除の適用の除外を意図しなかったことを裁判所は留意した。

140. 欧州人権裁判所は外国大使館の雇用に関する国家実行は一定していないと結論づけた。そして裁判を受ける権利に適用される制限は「個人に残された救済手段を裁判を受ける権 利の本質そのものを侵害するような方法や範囲において制限・制約するものであってはならない」と判示したが、結論的には上記の各事件と同様の判断をした。しかしながら、本件の主権免除事件ではイタリアが主張するように「戦争被害者が補償を得るための他の手段が残されていない」のである。

(d) カロゲロプールー事件 (2002)

141. 最後に、重要な事件としてディストモ事件被害者の親族により提起されたカロゲロプールー事件(2002)がある。原告らは欧州人権条約第6条及び同条約第1追加議定書第1条により提訴した。欧州人権裁判所の裁判部は請求を棄却した(2002年12月12日判決)が、この事件はアル・アドサニ事件とは異なり、法廷地国(すなわちギリシャ)において実行された人道に対する罪に関するものであった。裁判所裁判部の決定は裁判を受ける権利は(目的に比例した)制限に従うことを前提としている。しかしそのような制限は、私の理解によれば、裁判を受ける権利の本質そのものを侵害せずにはおかないものである。

142. 裁判所の裁判部による結論は、裁判を受ける権利に対するいくつかの制限は公正な裁判に内在するものとみなされるべきであり、それに主権免除も含まれるというものである。ただし、判決は「これは将来における慣習国際法の発展を排除するものではない」と付け加えた。この声明は将来の発展に「ドアを開く」ことについて明確に表現しなかったアル・アドサニ事件やマケルヒニー事件の判例をやや前進させるものと考えられる。そのように将来の発展へ「ドアを開く」だけでは欧州人権裁判所の判断として十分なものであるとはとうてい言えないとしても、少なくとも本件で争われている問題の法が10年前(2002年)に変化の過程にあったということを推測することができる。

2. 国内判例に広く存在する緊張関係

143. 国内裁判所の判例に広く存在する上記の緊張関係は、当裁判所の口頭手続において、特にフェッリーニ事件イタリア破毀院判決(2004)に対する各々の観点から両当事者の関心の対象となった。ドイツは、イタリア破毀院は立法者に代わって国家実行においても他国の司法判断においても未だ国際的支持を得ていない新しい法を導入したと主張した。そして国内裁判所の実行は国際犯罪の場合であっても主権免除が認められることを示していると述べた。ドイツは、そのような観点からイタリア破毀院のフェッリーニ事件判決は国家実行の中で孤立した判断であり、主権行為に対する主権免除は今も確固とした国際法規則であると結論づけた。

144. これに対しイタリアは、フェリーニ事件判決は主権免除規則を侵害するものではなく、主権免除規則は基本的に維持されており、ただ国際社会の基本的な義務との調和のために再評価され、主権行為に対する主権免除は不法行為例外のような例外の対象となり、絶対的なものとはみなされないと主張した。その見解によれば外国の行為に免除が与えられるか否かを判断するために外国の行為を分類・定義するのは国内裁判所の任務である。 そしてフェッリーニ事件においてイタリア破毀院は違反の犠牲者に裁判を受ける実効的な権利を保障したが、それには二つの構成要素がある。それは公正な裁判の権利と補償の権利である。ドイツ裁判所によればフェッリーニ氏等の被害者はドイツ法によって補償の権利を与えられていないのでイタリア裁判所に頼るほかはなく、よってイタリア破毀院は主権免除の原則を本件に適用する国際法との一貫性を保つために修正したのである。

145. フェッリーニ事件イタリア破毀院判決(2004)は両当事者(ドイツ・イタリア)と参加国(ギリシャ)が本件の審理の過程で援用した関係判決のうちのひとつに過ぎない。審理の過程において両当事者と参加国は国内裁判所のその他の判決を争点に関する主張を立証するために援用した主権免除に関する国内裁判所の実行に限っても、例えばドイツはその主張を立証するためにイスラエルのテルアビブ地方裁判所の最近の即決判決、リオデジャネイロ連邦裁判所判決、ポーランド最高裁判所の判決に言及した。

146. 一方イタリアは、ドイツの主張に対して、国内裁判所が「強行規範違反に起因する請求に直面した場合、違法行為を行った国家の主権免除享受の問題について多様な見解を表明してきた。」と反論した。この見解の根拠としてイタリアは、上記のディストモ虐殺事件ギリシャ最高裁判所判決、フェッリーニ事件イタリア破毀院判決に加えて、イタリアの見解によれば「この種の事件において主権行為に対する主権免除原則が制限を受けることを認める方向にある」ケベック最高裁判所及びフランス破毀院の最近の2件の判決を援用した。

147. 一方ギリシャは「ギリシャ裁判所の立場における根本的な主張は、人道法への重大な違反の場合に個人の補償請求権を認める事を基本にしている」と指摘する。ギリシャはさらに次のように主張する。

「人道法規則違反についての個人への補償義務は1907年ハーグ陸戦条約第3条から導かれる。……それは第3条の文言が個人を除外していないことから明らかになる。この趣旨の主張は第2回ハーグ平和会議の準備作業によっても裏付けられる。」

ギリシャはまた、違法行為を行った国家の補償義務は国際法の中で確立しているとも主張 する。人権及び国際人道法条約は条約違反の被害者個人のために国家の補償義務を規定する特別の条項を採用している。

148. 裁判所における主張から導かれる全体像は、主権免除の要求と裁判を受ける権利の実行について国内裁判所の関係判例によって起きた緊張関係を明らかにしている。したがって裁判所は国内裁判所の実行のみを根拠にその論理を組み立てることは困難である。裁判所は裁判所規程第38条に列挙されたような現代の国際法の別の徴表(国際法の正式の「法源」)に依拠し、過去にそうしたように、それを超えなければならない。これが、本件のような議論のある事件を「国連の主要な司法機関」(国連憲章第92条)として適切に解決する唯一の方法である。

3. 法の支配の時代における国内・国際レベルの前記の緊張関係

149. 現在の国内・国際レベルの法の支配の時代における上記の緊張状態を念頭に置くと、これはさらに説得的である。この概念(本質的には国内レベルの法の支配)の起源は大陸法の国においても英米法の国においても、18世紀末にさかのぼることができる。そしてそれは19世紀を通じて徐々に具体化して行った。それは特に20世紀に一連の基本的な原則と価値とその基礎となる権力の制限の必要という思想に適応するようになった。このような原則のひとつが法の下の平等である。

150. 法の支配の概念は(既成権力への追従を特徴とする)法実証主義の先見性のなさから脱け出し、自然法学派の法思想に沿って国内外における「目的としての」正義の思想に近づいた。後者の領域では国家に優先して人権の保障に注意が注がれる。法の支配の概念が近年において国際組織法の分野でも存在感を示し、その中で受容されていることは驚くにあたらない。

151. 今日、私たちは、(現代の複数の国際裁判所の創設と併立により証明される)国際司法権の拡大、国際的レベルにおける裁判の利用の拡大、司法により解決すべき事件の増大を伴う国際法秩序自体の司法化を私たちの世代の一般的現象として目撃している。国内・国際レベルにおける法の支配という主題は最近(2006年以来)国連総会自身の主題となり、現在にいたるまでそこでますます注目されていることも驚くにあたらない。

152. 私はこの発展について刑事訴追又は引渡の義務事件(ベルギー対セネガル)仮保全措置2009年5月28日決定の反対意見において注意を喚起した。国連総会におけるこの発展の衝撃は2000年国連ミレニアム宣言とミレニアム開発目標の実行についての2005年経過 報告の中で示された。そして究極的または広い意味で個人の人権に関する中核となる多国間条約が注目された。

153. 2005年に採択された国連首脳会合成果文書は国内・国際レベルにおける法の支配のに対する支持と実行の必要性を認めた。この注目すべき実行の特徴を列挙すると、第1に前記のように多国間条約に焦点をあてたこと、第2に法の支配の優越性のための調査、第3に国内・国際両面における優越性の主張、第4にその単純に国際的な外見の克服である。

154. 私の見解によれば、これは現代国際法の異なる領域に波及した。主権免除に限っても、例えば1972年欧州主権免除条約(第11条)、2004年国連主権免除条約(第12条)が個人の身体傷害(賠償)を例外と定めた。つまり両条約ともその主題は単に国家間関係に限定されるものでないことを承認したのである。

155. それは実際にはそれらを超えて国家が各国の管轄権の下で人間を取り扱う方法も含むものであった。主権免除は国家犯罪を実行した国家を背後に隠すために考案されたものではない。この点を論ずる前に、私は次に主権行為と業務管理行為という古い二分法(本件で検討したように)及び主権免除における個人の扱い、頑迷な国家中心思考の先見性の欠如とその克服について論ずることにする。

XV. 主権行為と業務管理行為に関する当事者間の論争

156. 本件では、両当事者は主権免除の適用のため、更に広い意味では絶対免除主義から制限免除主義への発展の問題のための主権行為と業務管理行為の区別について方向の異なる見解を提唱した。ドイツは次のように主張した。
ドイツがイタリア領土に居た1943年〜1945年の時代には「絶対免除主義は争う余地がなかった」。「1952年に一般的合意に基づき基本的な転回をもたらした」のは米国のテート書簡である。そして、それ以来「裁判実行は主権行為と業務管理行為の二つの類型に区別された」。

157. 一方イタリアは、当初の裁判実行は専ら主権行為と業務管理行為の区別にもとづいていたが、「最近になって多くの国の法と実行は」「主権行為に属するいくつかの行為についても主権免除の例外」とすることを支持するようになったと主張した。また、絶対免除主義から制限免除主義への発展の起源は国内裁判所の継続的な判決にあると主張した。そしてギリシャは2011年8月4日の「陳述書」のなかでこの見解を繰り返した。また、イタリ アは、ベルギーの判例法が私的行為を免除の例外とする発展の先駆者であり、イタリア判例法は19世紀以来「政治的実体として独立した権力を実行する国家は主権免除を享受し、法人としての国家は主権免除を享受しないという区別を一貫して行ってきた」と主張した。

158. イタリアはさらに次のように主張した。
「ベルギーとイタリアの判例法は永く孤立したままだったわけではな」く、19世紀末から法学説においても同じような反響があった。主権行為と業務管理行為の区別のターニングポイントは、ドイツが主張する1952年の米国のテート書簡ではなく、「第2次世界大戦のずっと以前の複数の裁判所による主権免除拒否は外国の主権や尊厳を傷つけるものと考えられなかった」。そして「制限免除への発展は個人保護の必要性によるものである」。「主権免除の例外は業務管理行為に限られるものではない」。

159. 裁判所における口頭手続の過程でドイツは、2004年国連主権免除条約第12条による人的損害賠償例外(不法行為例外)は慣習法を成文化したものではなく、軍隊の行為には適用されず、国際的な国家実行はあらゆる主権免除例外から軍隊の行為を除外していると主張した。一方イタリアは、不法行為例外は本件のように不法行為の全部または一部が法廷地国で行われた場合には主権免除を否定するものであり、さらに国連主権免除条約第12条は主権行為と業務管理行為に何らの区別も設けていないと主張した。そして、ドイツ軍がイタリアで実行した特定の不法行為は単なる不法行為ではなく強行規範に対する重大な違反であり、救済の実現と裁判の利用のために不法行為例外が認められる傾向と、絶対規範に対する違反の場合には免除を否定する傾向が相まって、イタリアにはこれらの行為についてドイツに免除を与える義務がなかったと主張した。

160. 当事者間のこの論争は国家間関係の枠組みにとらわれている。強行規範を唯一の例外と主張することも含めて、それは伝統的な国際法の語彙体系から自由ではない。互いに全く異なる解釈によるものとはいえ、両当事者が論及した法の発展は厳格な国家中心思考を超えたより大きな枠組みのなかでこそ真価が認められるもである。争点についてよりよい理解に到達するために、私は次節以降において、この点について注意を喚起しようと考える。

XVI. 個人と主権免除 : 先見性を欠いた頑迷な国家中心思考

161. そのために適切な出発点は、国際法秩序についての国家中心思考の歪みを確認し、国家の役割をめぐる神話を自覚することである。第2次世界大戦の恐怖と欧州関係の理性的 思考の崩壊の中で、博学の思想家エルンスト・カッシーラー(1874-1945)は、その崩壊の中で果たした神話の役割を研究した。彼は死の直前に、大部分の人々の思い込みとは異なり文明は全く強固なものではなく、その下に過激な暴力や虐殺の応酬、歴史を通じた暴虐を塗り込めた剥がれやすい塗装面に過ぎないと結論を下した。カッシーラーは20世紀の国家の神話に焦点を当て、マキャベリズム(倫理的思考の拒否又は無関心)、ホッブズ思想(被支配者が支配者に従属する、両者の永続的な関係)、ヘーゲル主義(自己保存する最高の歴史的な実在としての国家、その利益はいかなる倫理的思考にかかわらず全てに優越する)の系譜が悪影響を与えていることを確認した。

162. E.カーシーラはさらに、「政治的神話」を含む神話、特に20世紀に過激な暴力と全体主義に導いた神話に注意すべきであると警告した。もう一人の博識な思想家・歴史家であるアーノルド・トインビーもこの問題について同様の見解を提示した。1948年に出版された洞察力に溢れた評論において、トインビーは(「状況ではなく動向としての」)文明と言う言葉によって理解されている実際の原理について疑問を提起し、これは社会的・倫理的レベルにおいて全く控えめな進歩に過ぎないと特徴づけた。その薄い地層の下に彼の時代の統制不能で過激な暴力に示される野蛮が不幸にも持続していたと彼は述べた。

163. 人間を排除した国家中心思考は徐々に国際法思想に侵入し、第2次世界大戦の恐怖と20世紀から21世紀初頭にかけて連続する残虐行為に代表される悲惨な結果を引き起こした。例えば「主権」という用語には永くやっかいな歴史がある。ジャン・ボダン(1530-1596)やエムリッシュ・ヴァッテル(1714-1767)の時代から現代まで、不当かつ不注意に国際関係から国内関係に転用された国家主権の名のもとに数百万の人間が犠牲になった。用語の誤用は国際法思想に影響を与え、さまざまな目的で倫理的配慮もなく、国際的な出来事の進行に影響を与えようとした。

164. やがて、国家間関係の分野においては成し得ることには限界があることが認識された。国際法の用語は国家平等原則の創設と承認に使用され始めたが、再び本質的に国家中心主義的な見解と論理に従う(対内的及び対外的な)主権の枠組みの中においてであった。当時隆盛していたウェストファリア・パラダイムを連想させる難解な専門用語(jargon)と出会ったのは、この曖昧な国際的見解による主権概念であった。このようにして主権免除という用語が生まれた。

165. 実際、「免除(immunity )」(ラテン語のimmunisから派生したimmunitasが語源)は18世紀半ば以来、課税、料金、義務の負担から免除された地位を意味する言葉として使用された。19世紀末にかけて免除(immunity)は(国会議員と外交官に関するものとして) 憲法と国際法の語彙にとり入れられた。刑法においては 「不処罰の根拠」に関する言葉となった。国際法においては主権国家の「特典」に関する用語として使用されるようになった。

166. いかなる場合にも「免除(immunity)」という用語は常に完全に例外的なこと、裁判権や執行権からの免除を意味した。それは決して「原則」や一般的に適用される規範ではなかった。それは、その発動により国際犯罪を、まして国際人道法や人権に対する重大な違反や残虐行為を裁判権から除いたりもみ消したりするためのものではなかった。それは決してそのような残虐行為や重大な違反の被害者への補償を排除するためのものでもなかった。そうでないと主張することは論点を回避するだけでなく「免除」と言う用語に対する深刻な歪曲を招くことになる。

167. 主権免除の理論は、各国の裁判権において、国家が個人に対する処遇にほとんど関心を払わなかった時代と環境のもとで創設された。近視眼的な国家中心思考に従い、19世紀末にかけて大きな役割を果たしたイタリアとベルギーの裁判所と貿易先進国の国内裁判所により徐々に主権行為と業務管理行為の区別が拡散した。そして主権免除はそれ以来前者のいわゆる主権行為に限って適用されるようになった。

168. 当時、この発展の寄与者たちは国際犯罪を念頭に置いていなかった。関心は主に商業取引に向けられ、国家が私的存在として活動した場合に免除の適用が除外された。40年前(1972)にバーセルで採択され1976年に発効した欧州主権免除条約のような主権免除条約の起案を含む立法活動におけるこの区別は少なくとも絶対免除主義の観念を終焉させた。アメリカ大陸において米州機構の汎米法律委員会は同じように主権免除の制限に向けて進行中の発展をとり入れた米州主権免除条約草案を1983年に決定した。

169. そのような発展は国家の通商関係を主権免除から除外することによりもたらされた。汎米法律委員会は主権行為と業務管理行為の古典的な区別の「頑迷さ」に疑問を提起し、そのような伝統的な区別を規定することを拒否した。いずれにせよ絶対免除主義から意識的に脱却した。現代の国際法の語彙に制限免除主義がとり入れられたことに変わりはないが、その基礎となった主な関心と動機は営業取引であった。要するに通商関係や取引をそこから排除したのである。

170. ハーシュ・ローターパクトは1951年に主権免除に対する鋭い批評のなかで、みずからの利益を擁護するために個人の法的救済を拒否する主権国家の特典に異議を唱えた。彼によれば絶対免除主義は不正義を招き、主権行為と業務管理行為の区別による制限免除主義への動きは国際法の発展の基礎や方向性を提供していないので、やはり解決にはならな い。主権免除の概念は ホッブス主義の国家観の表明であり、「専制主義者」のものである。それは原則ではなく漸進的な「国家における法の支配への一般的進歩」の中で再評価されるべき「例外」である。結局のところ、国家が「正当な請求を退けるために主権免除の盾によって自らを守る」たびに発生する「不正義に対する寛容」をもうやめなければならない。

171. このことは、我々が主権行為と業務管理行為の区別を定式化する動機となった限定的な歴史的文脈、すなわち取引と通商貿易関係から離れることにより、より明らかになる。 我々が各国の裁判権における個人の取扱という広い分野の視野に立つと、伝統的な区別は不十分で不適当なことが分かる。過去の頑迷で危険な国家中心思考を完全に克服していかねばならない。

XVII. 裁判の必要性についての国家中心主義の歪んだ見解

172. 国際法の分野における近代的な国家理論としての国家の擬人化は18世紀中頃のエムリッシュ・ヴァッテルの著作(国際法,すなわち国家および主権者の行為と事務に適用される自然法の諸原則, 1758)により創始され、その時代の国際司法実行に大きな影響を与えた。国家の擬人化と主権の強調は国際法は国家間関係にのみ適用されるという考え(万民法ではなく国家間法)を導いた。それは国際法の対象として国家のみを認める還元主義的見地による国際法秩序に帰することになる。

173. 20世紀半ばに広く認識されたように、この国家中心主義による曲解の結果が人類に災いをもたらすことが証明された。国家中心主義の熱狂の全盛期には個人は二次的な存在に格下げされた。例えばプロシア国家の擁護者であったG. W. F.ヘーゲル (1770-1831)にとっては個人は国家に完全に包摂される存在であった。社会自体も同じように国家に従属した。国家は自己完結し、自由は国家自身のみが享受するものであった。ヘーゲルは独裁的で絶対的な主権国家を支持し正当化した。彼にとって国家は社会より強力であり、個人は主権国家を通じてのみ彼らの利益を追求することができた。

174. 19世紀後半以来、法実証主義は国家を完全に擬人化し、国家に「それ自体の意思」を付与した。そして国家がようやく認めた個人の権利を縮小した。(主意主義的実証主義による)国家の「意思」説は国際法の主要な基準として創設され、個人・人間の提訴権を否定した。これは国際社会についての正しい理解を困難にし、国際法の範囲を主権国家だけの国家間法に厳格に限定して、国際法自体を傷つけるものであった。実際に国際法秩序が国際法(万民法)の創始者の下を離れたとき、人類に対する残虐行為が継続的に行われてい た。

175. 戦争犯罪と人道に対する罪という継続的な残虐行為は、全能の国家の神話の真っただ中で発生し、社会環境までそのために動員された。第1次世界大戦の勃発以降に徐々に具体化した国家の犯罪的な政策は「技術的合理性」と「官僚的組織」に依拠していた。実際に後述の恣意的な犯罪において、個人はますます弱く、無防備になっていった。国家による犯罪の被害者と親族だけでなく、社会環境全体にとって裁判が切実に必要であることがやがて明らかになった。そうでなければ継続する国家犯罪により個人は否定され、絶滅させられ、人生は耐え難いものになる。

176. 「国家の主権行為」とみなされる行為に対する個人からの訴訟を無効化する主権免除の実行が具体化しもっとも発展を遂げたのは、国家中心主義の短見が流行した時代であった。しかし、国家の「意思」に対する個人の服従の理論は万人を納得させるものではなく、やがてより明快な学説による公然たる挑戦を受けるようになった。国家の無責任と全能を導く絶対的な国家主権の思想は人間に対する国家(またはその名)による継続的な残虐行為を防止することができず、時を経るにつれて全く理由がないことが明らかになった。国家は業務管理行為か主権行為かを問わず、またその全て過失についても責任を負うことが今日では認められている。したがって、人権に対する重大な侵害の場合、その人権を守るための国際司法機関における個人の直接の請求は自国に対するものであっても完全に正当化される。

XVIII. 個人と主権免除 : 頑迷な国家中心思考の克服

177. 本件において我々は過去の伝統的な理論を導いたものとは全く異なる事実を扱っている。我々は国際犯罪(人権と国際人道法に対する重大な違反)についての主権免除の適用、被害者個人の一般国際法の下での補償請求権を実現するための裁判を受ける権利という問題を扱っている。本件を考察するために適切な主権行為と業務管理行為の区別基準は何か?何もない。

178. 戦争犯罪と人道に対する罪は業務管理行為やその他の「私的行為」とは考えられない。それらは犯罪である。それらを主権行為と考えることもできない。それらは重大な犯罪(delica)である。主権行為と業務管理行為、国家の主権的又は公式行為と私的性格の行為の区別は国家の主権免除に関する本件を考察するためには全く不適当な伝統的理論の遺物である。そのような伝統的理論は国家中心思考の短見により、個人が国際法(万民法)の主体であることの承認を示した国際法の創始者たちの教えを忘却した。

179. いかなる国家も人間を奴隷化したり絶滅するために主権を発動し、主権免除の盾に隠れてその法的結果を免れることは許されなかったし、今後も許されない。人権と国際人道法、戦争犯罪と人道に対する罪については免除は存在しない。免除はそのような不正のためのものであるとは決して考えられてこなかった。責任に関する頑迷な国家中心思考の追求を主張することが明白な不正義を導いた。主権免除に関するドイツとイタリアの本件がそのことを雄弁に証言している。

180. 個人はまさに国際法の(単なる「関係者」ではなく)主体である。法学説がこのことを忘れるたびに悲劇的な結末が発生した。個人は国際法(万民法)から直接導かれる権利の保持者であり義務の負担者である。この数十年の国際人権法、国際人道法、国際難民法、さらに国際刑事法の発展の収斂はこのことの明白な証拠を提供している。

181. 国家間の関係しか視野にない国家中心思考の短見とともに流行した主権免除理論は国際法(万民法)における個人の地位を不当に過小評価し無責任に軽視した。主権行為と業務管理行為の区別は本件のような事件について何の役にも立たない。国際犯罪は国家の行為でも「私的行為」でもない。誰が犯したに関わりなく犯罪は犯罪である。

182. 戦争犯罪と人道に対する罪は、国家による言語の悪用、物資の供給、国家の組織、国家政策の実行など、(残虐性を伴った)国家のいわゆる「情報」により個人によって実行されたことを歴史は示している。したがって、そのような犯罪に対する個人と国家の責任は一方が他方を排除する関係では全くない。そのような犯罪について主権免除を適用する余地はない。

183. そのような犯罪の実行者は、個人も国家も、それらの違法行為や強行規範違反の法的結果を主権免除の適用によって避けることができない。今日の国際法学説は各国の裁判所における国家の個人に対する義務をようやく承認しようとしている。これが当裁判所における本件の判断において最も配慮されるべき点である。

XIX. 国家犯罪に主権免除は存在しない

184. 次に、国家犯罪(delicta imperii)、強行規範違反の国際犯罪についての主権免除の不存在または不承認という論点を考察する。そのような国家犯罪のうち特定の事件の手続の過程でしばしば取り上げられる二つの実例に言及しておこう。それは第2次世界大戦中に発生した無防備状態の民間人の虐殺(特にその具体例としてギリシャのディストモ虐殺事件、イタリアのチビテッラ虐殺事件)、軍需産業における強制労働に従事させるための移送 である。当裁判所における主権免除の主張の事実的原因であるそのような国家犯罪は第2次世界大戦中にギリシャとドイツのみならず他の占領下の国々でも何件かの同様の事件を引き起こしたのと同じ類型の過激な暴力によって実行された。

1. 無防備状態の民間人の虐殺

(a) ディストモ虐殺事件

185. 本件の初期の段階(ギリシャの参加請求に関する2011年7月4日の裁判所決定)の私の個別意見において、私は本件手続の中で問題となった、218人の村民(男女、子供)がナチス軍隊により虐殺されたディストモ虐殺事件(1944年7月10日)に言及した。その個別意見の中で私はひとつの歴史的記録を引用した(第29項)。

186. 虐殺直後のギリシャのディストモ村の惨状と荒廃を含むもうひとつの歴史的記録が存在する。これは、上記の虐殺直後に救援のために村に到着した当時の赤十字国際委員会ギリシャ使節団長ステュレ・リネルの回顧である。下記に引用する記録はディストモ村とそこへの途上で見た犠牲者の死体を通してナチス軍隊の残虐性を描き出している。

「明け方、ディストモに向かう中央道路で我々は非常に長い時間をかけ、多くの妨害物を越えて破壊された道路を進んだ。道端で我々が近づく音を聞き、ハゲワシが低い高さからゆっくりと物憂げに飛び立った。数百メートルにわたる道路沿いの全ての木々に銃剣で打ちつけられた死体がぶら下がり、そのうち何人かはまだ息があった。彼らはナチス親衛隊の分隊を攻撃したパルチザンを援助した嫌疑によりこのような方法で処罰された村民だった。耐え難い悪臭がした。

村の中では家々の灰の中でまだ炎が燃えていた。老人から嬰児まで、あらゆる年齢の数百人の人々が地面に倒れていた。ナチスは多くの女性たちの子宮を裂き、乳房を切り取った。他の人々は自らの腸で首を絞められ、頸に腸が巻きつけられたまま倒れていた。だれも生き残っていないように見えた。
しかし!村はずれに一人の老人が!彼は奇跡的に虐殺を生き延びた。彼は恐怖に打ちひしがれ、虚空を見つめ、その言葉は理解不能であった。我々は惨劇の現場で車を降り、ギリシャ語で叫んだ。『赤十字だ!赤十字だ!助けに来た』。」

187. リヴァディア一審裁判所判決(ボイオーティア県対ドイツ連邦共和国事件, 1997)とギリシャ最高裁判所(2001, ドイツによる上訴)におけるディストモ虐殺事件に対する司法判 断には、それが理由の全てであるか否かにかかわらず、ひとつの共通点がある。それは法廷地国の領域(例えばディストモ虐殺事件ではギリシャ)で行われた第三帝国(又はその軍隊)の行為は主権行為ではなく、強行規範違反(1907年ハーグ陸戦条約に添付された陸戦法及び慣習規則による義務違反)であり、したがって、主権免除を適用するいかなる可能性も排除されるということである。

188. その上、当裁判所における本件の手続の過程において、称賛すべきことに、ドイツ代理人はディストモ虐殺に対する国家責任をドイツの成熟の証として率先して認めたことを看過すべきではない。ドイツ代理人は当裁判所の口頭弁論においてこのような趣旨から、ドイツに対する請求のもとになった事実を回顧したのち、主権免除について争うことは別としてディストモ虐殺事件に関する「リヴァディア裁判所の判決を尊重し」、次のように述べた。

「これが言語道断の犯罪であったことを再度強調させてほしい。我々ドイツ代理人はドイツの名において、ディストモで起こった出来事について深い悔恨の情を表明する。女性、子ども、老人を殺害することによっていかに軍隊があらゆる法と人道の限界を超えてしまうのか我々自身も理解できない。」

(b) チビテッラ虐殺事件

189. もう一つの虐殺は1944年6月29日、イタリア(アレッツォ近郊の)チビテッラの町でナチス軍隊の同じような過激な暴力により行われた203人の民間人殺害である。事件は2004年のフェッリーニ事件の数年後にイタリア破毀院に係属した。そして2008年5月29日、破毀院は主権免除は強行規範違反を構成する国際犯罪(人権と国際人道法に対する重大な違反)に関する件には適用しないというフェッリーニ事件の立場を支持する12件の同文の決定を行った。

190. 少し後の2009年1月13日、イタリア破毀院はチビテッラ虐殺事件について再びその立場を確認した(2008年10月21日判決)。それは、元ドイツ国防軍の構成員で1944年6月29日にヘルマンゲーリング戦車師団により実行された虐殺に参加したナチス将校ミルデに対する刑事手続においてであった。破毀院はチビテッラ虐殺は国際犯罪であると認定し、民事訴訟からの主権免除を否定、被害者及び遺族のドイツ連邦共和国とミルデ(連帯債務者として)に対する補償請求を認容した。

191. フェッリーニ事件判決を解釈指針とするイタリア破毀院の判決の核心は人道に対する罪を助長する犯罪的な政策を遂行する国家の事件においては主権免除を拒否するというこ とである。破毀院の判決は人権に対する重大な侵害の事件においては国家は主権免除を利用できないという意味において、明らかに価値重視的であった。そのような状況では被害者個人の補償請求権が重要視されたのである。

2. 軍需産業における強制労働とそのための移送

192. 民間人に対する人間以下の待遇による虐待、戦争産業における強制労働、そのための移送についての国際人道法の分野における長年の禁止についてはすでに注意を喚起した。 すでに指摘したように、この禁止は規範的水準において明らかにされ、国際法の法典化作業のなかで採用された。それは(国際人権法の分野において)、残酷、非人道的、劣悪な待遇とされ、強行規範の範疇に含まれる。

193. そのような国際犯罪はほどなくしてニュールンベルグと東京の先駆的な裁判のような国際刑事裁判所のみならず、最近の欧州人権裁判所 コノノフ対ラトビア事件 (2008-2010)判決のように、国際人権裁判所でも司法的に認められた。そのような犯罪はだれが実行したかにかかわらず、主権行為でも業務管理行為でもなく、国家及び個人双方に責任を生じる。

194. 今日まで歴史家によって余り研究されていないが、第2次世界大戦の過程においてナチスドイツは(絶滅のための)強制収容所と並行して強制労働収容所の体系を設立した。彼らは占領国からの強制労働収容者から収奪しようとした。おびただしい数のこの種の収容所が存在し、私企業がその敷地内に開設したものもあった。この「民営化」制度により強制労働収容者は無報酬、人間以下の生活又は生存環境で収奪された。

195. このような苦難を強いられたのはナチスドイツの私企業で働かせるために占領国から移送された収容民間人と戦争捕虜であった。そこで彼らは非人間的な労働環境で兵器生産のための強制労働に従事させられた。彼らはいわゆる総力戦のなかでの絶滅作戦における敵に対する計画的な破壊と虐殺の実行を目的とする巨大な生産企業の一部となった。強制労働者となった民間人と戦争捕虜は全てこの企業の中での非人間化のプロセスに包摂された。

196. 今日まで十分に研究されていない第2次世界大戦中の強制労働制度は欺瞞、歪曲、虚偽によって表現されてきた。わずかな歴史的記録によれば、労働者らは常に脅迫され、強制労働者はナチスの戦争産業の奴隷に転落した。1943年以降強制労働者はナチスドイツの戦争遂行の生命線となった。奴隷労働者は強制と支配のもとで迫害者の戦争産業に参加す ることによって生き残ろうとした。占領国における強制労働は、第三帝国によって立てられた戦争経済を支える長期計画の下で実行された。

197. 第2次世界大戦中の被占領国の民間人はドイツの軍需産業で奴隷労働に従事し、そのために移送された。本件が明らかにしたように、民間人だけでなくイタリア軍の構成員も戦争捕虜の地位(そしてその地位に基づく保護)を拒否・剝奪され、ドイツの軍需産業で強制労働者として同様に使役された。非常な残酷性をもって実行されたこれらの犯罪は当然にも被占領国において激しい怒りを引き起こし、ドイツと闘う組織的なレジスタンス運動を発生させた。

198. 1944年秋までに770万人の外国人労働者がドイツにいたと推測される。「奴隷労働」と「強制労働」はドイツの補償法において区別されてきた。

「[奴隷労働] 強制収容所(ドイツ賠償法により規定)又はゲットーその他の収容施設においてドイツ基金が認める苦難に類する環境下での強制による労働。

[強制労働] ドイツ帝国の領域及びオーストリア以外のドイツの占領地において監禁に準じ、またはきわめて劣悪な生活環境下での強いられた労働(『奴隷労働』を除く) 。またはオーストリア領域外において国家社会主義者の『労働を通じた絶滅』政策の計画下に実行された強制的な労働。」

XX. 個人の裁判を受ける権利の普及 :
両当事者による ゴイブル事件 (米州人権裁判所2006) の援用

199. 上記を総合すると、私の見解によれば、歴史(国際法史を含む)に学ぶ能力が欠けていると思われる右翼国家至上主義者らが未だに主張しているような主権免除には制限がないという見解は全く誤りである。人道に対する罪には主権免除はない。私見によれば、国際犯罪、国家犯罪のケースにおいて制限がないのは重大な違反に対する補償を請求する人間固有の権利を含む個人の裁判を受ける権利である。この権利なくしては、国内・国際を通じて信頼に足る法制度は存在しない。

200. 数十年前、「人類という歪んだ材木から真直ぐなものが生み出されたことは一度もない。」というカントの箴言にもとづいて、アイザイア・バーリンは「国家の第一の義務は過度の苦難を防止することである」、人々に独断主義者による「きちんとした制服」を強いることは「ほとんど常に非人道への道である。」、20世紀の空前の残虐行為は「高度の科学知識と技術」とともに支配、侮辱、「他者への無慈悲な破壊」をも実現してしまう可能性があ ることを示していると述べた。

201. 単なる災難と区別される悲劇は「回避しうる人為的過誤」によるものであり、破滅的な結果を伴うことがある。最後にバーリンは、我々は常に「客観的」な正義の理想と人間を「結果のための手段」として扱うことを禁止する自然法思想にもとづく普遍的原則に立ち戻られなればならないと結論付けた。これに関し20世紀のもう一人の偉大な思想家シモーヌ・ヴェイユはその啓蒙的な評論 (1934、それ以来各国で異なる形式で出版された)の中で次のように述べた。ホメーロスのイリーアスの時代から現代にいたるまで、戦争の人類に対する影響は常に人類の「本質的な悪」、すなわち「目的に対する手段の従属」を明らかにしてきた。権力の追求が目的とされ、人間の生命が犠牲に供される手段とされる。

202. ホメーロスのイリーアスの時代から現代にいたるまで、権力闘争の不合理な要求により、何が真に重要であるかを考える余裕がなかった。個人は「盲目の集団として放置され」、「自身の考えにしたがって行動する」ことができず、考える事すらできなかった。精神を破壊し無意識を作り上げる「社会的機械」によってすべての個人が「無力」となった以上、「抑圧者と被抑圧者」という用語と区別はほとんど意味を失った。すべての人々は精神の必要性に全く関心が払われず、「人間に値するものは何もない」世界で非人道の苦痛の中で生活(というよりも生存)を始めた。

203. 個人の裁判を受ける権利の普及は階層化された国際機構の見地からみても、国際司法裁判所において疑われることがなかった。これについて、刑事訴追又は犯人引渡義務に関する問題の事件(ベルギー対セネガル)の私の反対意見において、私は次のような見解が適切であると考えた。

「規範の前に事実が提示された場合、規範は至上の価値に正しく配慮しつつ、統制しようとする新しい状況に適応する必要がある。当裁判所において、現在のところ条文上の規定により国家が提訴権を独占してるが、これは国家の権利と個人の権利保護か両立しないことを示すものでない。提訴によって保護される権利の最終的な受益者は居住国とならんで個人であることが稀ではない。逆に、この裁判所における国家の主張の中での要求自体が個人の基本的人権の保護のために国際人権法と国際人道法の原則と規範を援用することにより、過去の頑迷な国家中心思考を超えている。今のところ、実質的又は実体的な法に関して、本裁判所の訴訟の国家間構造はそのような原則や国際人権法と国際人道法の規範についての主張と立証の越えがたい障碍とはなっていない。」(2009年5月28日暫定命令)

204. その上、一昨日の国際労働機構の国際農業開発基金に対する本裁判所2867号勧告意見の私の個別意見の中で私はこの点について詳述した。私は(国連の主要な司法機関の任務であることを念頭において)二日前に勧告意見の私の個別意見で述べた批判的意見をここで繰り返そうとは思わない。そこで、この反対意見の目的に限定してそれらの意見をここに記すことにする。

205.本件において、ドイツもイタリアも米州人権裁判所2006年9月22日ゴイブル対パラグアイ判決に言及した。イタリアは最初に答弁書において、裁判を受ける権利は「人権保障体制の中で権利が実質的に保障されるための不可欠の補完物とみなされている」という主張の根拠として、米州人権裁判所の2009年9月22日判決を引用した。イタリアは更に「したがって、米州人権裁判所が、侵害された実体的権利が強行規範によって保障されたものである場合に、裁判を受ける権利は国際法における絶対的な規範であると述べたことは驚くにあたらない。」と主張した。

206. 一方ドイツは第1回の口頭手続において、これに関するイタリアの主張に応えて米州人権裁判所のゴイブル事件判決に言及した。ドイツはまずゴイブル事件の見解は(米州人権裁判所の他の一連の事件とともに)「戦争被害に関するものではない」と述べた。ドイツは更に、その件は違法行為を行った国家において裁判を受ける権利に関するものであり、主権免除に関するものではないとも主張した。

207. ゴイブル事件は1970年代の独裁政権時代に南アメリカ南部の諸国が彼らの共同の抑圧的犯罪政策を追求するために、いわゆる「諜報活動」についての国家間レベルの協力関係を形成した「コンドル作戦」に関するものである。それは人々に対する違法または恣意的な抑留、誘拐、拷問、虐殺又は超法規的処刑、強制失踪による各国の国民のうちの標的とされた部分の根絶、国境を超えた「反暴動」作戦の実行であった。国家の最高レベルにより計画された「コンドル作戦」はその作戦の隠ぺいも保証し、実行犯である公務員の免責と絶対的不処罰を伴った。

208. 米州人権裁判所における当該事件において、被告国家は称賛すべき手続的協調の精神から、重大な違法が行われた当時の犯罪的な国家政策の存在による自らの国際的責任を認めた。同様に重大な国家の犯罪はアジアでも1970年代に実行され、その30年前にはヨーロッパで、そして20年後に再びヨーロッパとアフリカで実行された。幾度となく、次の世代が世界の異なる地域で(このような国際法学説が主張されたか否かにかかわらず)国家による犯罪を目撃した

209. 米州人権裁判所は2006年9月22日のゴイブル対パラグアイ事件判決において人権に 対する重大な侵害が行われたことを認め、それに対応する補償を適切に命令した。米州人権裁判所は傍論におい次のように述べた。
国家はその法令、制度、権力によって「犯罪行為からの保護を保障するような手段」を機能させるべきであるが、本件においては国家権力は保障されるべき権利への侵害の手段となった。更に悪いことに、国家が自ら『実行された犯罪の主要な要素』を構成し、」「明らかな『国家テロ』の状況」をつくりだした。そのような侵害は、「国家間協力」によって実行されたのである。

210. ゴイブル事件についての私の個別意見において、私は特に (今日まで国際法学説において充分に扱われてこなかった)人権に関する国際法と国際刑事法の間の近似性と補完性の解明に努めた。すなわち、(a) 個人の国際法における(積極、消極の)性格、(b) 国家と個人の国際責任の補完性、(c) 人道に対する罪の概念化、(d) (重大な人権侵害の)再発の防止の保証、そして(e) 国際人権法と国際刑事法の協働による賠償裁判である。

211. 「コンドル作戦」は過去の出来事ではあるが、その傷跡は癒えていないし、おそらく癒えることがない。それが行われた諸国はそれぞれのやり方で今も過去と格闘している。 しかし、いくつかの事件とその種の事態が国際裁判所(米州人権裁判所)に提起されたが、国際裁判の前進がそこで起った国際法思想の強い伝統のある地域だけに、どの国家もそれらの犯罪に関して敢えて今日に主権免除を主張することはなかった。歴史的に考察するならば、基本的人権保障のための適法な国内裁判所による実効的な救済の権利に関する1948年の世界人権宣言第8条は、その条約の準備作業が示すようにラテンアメリカで発祥し、世界人権宣言に対するラテンアメリカの貢献となった。

212. 実際に、最も重大な事件における主権免除の適用は被害者(とその親族)の立場だけでなく、社会環境全体としてみても司法の戯画化や誤りを招くことになる。主権免除の適用は争点となっている違法行為の重大性を抽象化し、すべての被害者(直接・間接の被害者である親族を含む)に対する裁判拒否となる。その上それは国家政策の遂行として実行された残虐行為による損害に相応する法秩序の反作用を不当に妨げる。

213. 私の理解によれば、人権と国際人道法に対する特定の重大な違反の事実認定は、裁判の必要的な現実化のために裁判権に対する全ての障碍を取り除く重要な基準となる。要約すれば、この点についての結論は、(a)きわめて重大な国家犯罪のようなケースでは主権免除は排除され、(b) 人権と国際人道法に対する重大な侵害は被害者に対する補償義務を不可避的に課する。

XXI. 個人の裁判を受ける権利、強行規範に関する判例の 展開

214. 欧州人権裁判所は米州人権裁判所と異なり、裁判を受ける権利や公平な裁判のような基本的権利(欧州人権条約第6条(1)、第13条)は許容し得る内在的制約を受けるものと理解してきた。例えばその確立した判例において、許容される制約の基準、すなわち正当な目的、目的と制約の比例、権利の本質の不侵害を設定した(1985年5月28日アッシンデーン対英国事件、1999年2月18日ウェイトとケネディ対ドイツ事件、2001年5月10日 T. P.とK. M.対英国事件、2001年5月10日Z外対英国事件、2003年1月30日コルドヴァ対イタリア事件、2003年7月15日アーンスト対ベルギー事件判決)。

215. この柔軟性は欧州人権裁判所(大法廷)の主権免除に関する事件の多数意見にとって好都合であった(上記第Ⅻ節)。欧州人権裁判所が裁判を受ける権利のような基本的権利についてこの不適切な解釈を初めて採用したアッシンデーン事件は複数被害者に対する重大な人権侵害の事件ではなかったことを看過すべきではない。それは一人の被害者に関する欧州人権条約第5条(1)、同(4)、及び第6条(1)違反として提訴され、後者については裁判所が違反を認めなかった事件である。要するに、私の見解によれば、基本的な権利は許容できる「内在的」制約から解釈されるべきではない。

216. 一方、大西洋の反対側では米州人権裁判所はその「制約」についてではなく、裁判を受ける基本的権利自体の本質について、はるかに強く焦点を当ててきた。これらにおいては現在にいたるまで主権免除を支持することはなかった。欧州人権裁判所は締約国に「裁量の余地」を認めてきたが、米州人権裁判所は(少なくとも私の在任中は)認めてこなかった。その結果、裁判を受ける権利(米州人権条約第8条及び第25条)を「制約」を考える余地がほとんどない、真に基本的な権利として解釈した。主要な関心はそれをどのように保障するかにあった。

217. 人権に対する重大な侵害の事件についての米州人権裁判所による判断は裁判を受ける権利の根源的性格を強調する法律学の発展をもたらした。この権利は国家犯罪に関して不可欠であると考えられる。それはまさに権利のための権利、いかなる状況においても司法上の保護の不可侵(米州人権条約第8条、第25条)を保障する、個人の根源的権利を実効的に保護する法秩序への権利である。要するにそれは、米州人権裁判所がゴイブル対パラグアイ事件(2006年9月22日)及びラ・カントゥタ対ペルー事件(2006年11月29日)で認めたように、強行規範の範疇に属するのである。

218. 裁判を受ける権利について許容可能な内在的「制約」ではなくその権利の本質に焦点を当て、欧州人権条約(第6条(1)及び第13条)の当該条文に依拠した解釈を発展させ たなら、欧州人権裁判所の多数意見も上記に類似する結論に到達したはずである。もしそうしていたなら(そうすべきであったが)、裁判所の多数意見はこのような形(第Ⅻ説参照)で主権免除を支持することはなかったであろう。私の見解によれば、欧州人権条約第6条及び第13条は多数意見とは全く異なった方向を指し示しており、米州人権条約第8条及び第25条と同様に主権免除により「制限」されるものではない。

219. そうでなければ、国家は(虐殺や強制労働への動員のような)人権に対する重大な侵害を行い主権免除によってその責任から逃れるという無法な振る舞い可能になる。全く反対に、当該国家は欧州人権条約第6条及び第13条により、いかなる場合にも公正な裁判と適正手続の保障による実効的(国内的)な救済を行う義務を負う。これが欧州人権条約前文の言及する法の支配にふさわしいものである。ここには主権免除の特典が存在する余地はない。裁判を受ける権利が存在しなければ司法制度は存在しえない。裁判を受ける権利の保護は絶対的であり、主権免除による「制約」を受けない。これは強行規範に属するのである。

220. 人権を侵害する有害な行為が公的(主権行為)なものか、国家の必要による私的(業務管理行為)なものか、またはそれが全て法廷地国内で実行されたか否か(強制労働のための移送は国境を超えた犯罪である)は重要ではない。概念の貧困さにおいて異彩を放っているこの伝統的な用語は我々がここで扱おうとしてること、すなわち国際人道法と人権に対する重大な侵害についての裁判の実現の不可欠性と全く調和しない。主権免除は個人の基本的な権利への重大な侵害に対する補償の分野には存在しえない。

XXII. 無法状態を超えて : 被害者個人の権利のための権利

221. 広義の裁判を受ける権利は実効的な救済のための手段としての形式的な裁判の利用(訴訟を提起する権利)にとどまらず、適正手続の保障(武器対等、公平な手続)から(裁判上の賠償としての)判決、そしてその確実な執行、賠償金の支払いまでを含む。裁判の実現はそれ自体が被害者が満足を得るための保障の一種である。このように抑圧の被害者は彼らの権利を正当に主張する権利(権利のための権利)を有するのである。

222. この点については別の機会にすでに論じ、ここでは反対意見の論理の過程で触れたに過ぎないので、これ以上詳細に論ずるつもりはない。ただ米州人権裁判所はいくつかの裁判例のなかで実効的な救済と適正手続の保障の条文(米州人権条約第8章及び第25条)を適切に関連づけてきたが、欧州人権裁判所はようやくクドラ対ポーランド事件(2000年10月18日判決)以来のこの10年、欧州人権条約第6条(1)と第13条を関連付けるという 同じアプローチをとるようになったことは指摘しておきたい。これは二つの条文が個人の保護に利するために相互に補強することを再確認するものである。二つの国際人権裁判所の広義の裁判を受ける権利に関する法律構成は今日では一致しつつある。

223. すでに指摘した個人の補償請求権はその構成要素のひとつである。ホーンズビー対ギリシャ事件(1997年3月19日判決)において、欧州人権裁判所は訴訟を提起する権利と手続保障の権利に言及した後に、仮に司法制度が最終的で拘束力を有する判決を許容しないなら裁判を受ける権利は空虚なものになるであろうと述べた。欧州人権裁判所の見解によれば、的確に執行されない判決は締約国が欧州人権条約を批准する際に尊重すると誓約した法の支配と相容れない状況を生み出す。

224. 裁判を受ける権利を強行規範の範疇に持ち込んだ法律構成(上記)は私見によれば、人道主義を基礎とする今日の国際法の発展を支えるものである。この観点から見て、2004年国連主権免除条約が強行規範の問題を完全に無視したことはきわめて遺憾であった。その条約準備作業においてその問題を正しく取り入れる機会があったにも関わらず、単にそうしないことにしたのである。その起草者たちは(本件判決(第89項)において裁判所が再確認しているように)1999年に国際法委員会のワーキンググループがこれを回避し、国連総会第6委員会のワーキンググループがこの問題は成文化するほど「熟していない」と主張してこの問題を除外したのである。

225. これはまったく妥当でない。その時までに米州人権裁判所と特設された旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)という現在までの発展に最も貢献した二つの現代の国際裁判所がすでに強行規範の拡張された内実の上に法律構成を機能させていたのである。その上、とり入れるべき現代国際法の兆候があったにもかかわらず、とり入れられなかった。未発効の2004年国連条約は人権と国際人道法に対する重大な侵害の場合の主権免除の問題をとり入れなかったことについて厳しく批判されてきた。

226. その起草者たちは問題を認識していたが、国際法委員会と総会第6委員会のワーキンググループは問題は採用するほど「熟していない」と判断し、条約案の決定と承認のための安易な道を選び、当裁判所に係属している主権免除事件が例証するように、問題を未解決のまま不安定な状態に放置した。さらに悪いことに、アル・アドサニ事件(前記)の欧州人権裁判所(大法廷)の多数意見がその悪名高い2001年判決を導くために、2004年国連条約の準備作業における起草者らの怠慢を利用し、更に10年後、本日宣告された判決の中で当裁判所の多数意見が同じことを行っている(89-90項)。私はこれによって現代国際法が「凍結」されることを全く受け入れることができない。それゆえ、私はこの反対意見を作成し、提出することにしたのである。

XXIII. 消滅することない条理の優越に向けて

227. 人権と国際人道法に対する重大な侵害は強行規範違反となり、重い国家責任が課され、被害者には補償請求権が生じる。これこそ(各国のさまざまな法体系における)法の概念の基礎をなす公正の理想(自然法の条理への適合)に沿うものである。次の論点に移る前に、反対意見のこの部分で問うことがふさわしい二三の疑問を提起したい。人類はいつになったら過去の教訓を学ぶのか、いつになったら本件の基礎事実のような前の世代の恐るべき苦痛から学ぶのか?見たところ、今に至るまで学んだことはないから、おそらく学ぶことはないであろう。

228. いつになったら同じ人間の人間性を奪うのをやめるのだろうか?今日までやめたことがないから、おそらくやめることはないだろう。いつになったら平和と正義の下で生きるために必要な至上の価値 (他者を害するなかれ)を彼らの法に反映させるのだろうか? いまだにそれをしないから、おそらく決してすることはないだろう。十中八九、彼らは悪に従い、悪と共に生き続けるのだろう。しかし、この動かし難い限界のなかで、条理の優越のための努力も決して消えることはないように見える。シシフォスの神話のように、終わることなく永久に正義を追求することの中に常に希望が存在することを示唆しているかのように。

229. したがって、潜在する悪の問題が人類の思想史において主要な関心のひとつとして取り上げられ続けてきたことは驚くにあたらない。第2次世界大戦の直後にR. P. セルティヤンジュが哲学者、神学者、作家のために発した適切な警告は明確で完全に満足できる回答を発見することはできなかったが、この問題に彼らの関心を引き付けた。彼自身の言葉によれば、「全ての魂、全ての集団、そして全ての文明は悪を恐れる。悪の問題は全ての者の運命、人類の将来に疑問を投げかける。」

230. 住民に対する第三帝国の計画的な犯罪的国家政策の結果はその暗黒の時代を生きた様々な人々により表現されてきた。例えばクラウス・マンのような感受性の強い作者による1930年代の歴史小説は自らナチズムに合流した知識人たちを批判し(「メフィスト」1936年出版)、迫害を逃れて亡命した人々を描くドラマ(「火山」1939年出版)には(すでに噴火している火山のように)ほどなくして現実となり、占領地からの強制労働者を含む数百万の人々を犠牲にする社会の破局の予感が充満している。

231. 実際に、20世紀を通じて(制度自体には道徳的良心は存在しないので)国家の名のも とに語り、行動する人々によって犯罪的政策を追求する複数の国家が存在し、数百万人の人間を犠牲にし、さまざまな国際人道法と人権の重大な侵害による責任を負うことになった。その事実は今日では歴史家によって十分に記録されている。今後法律家によって発展させるべきものは、数十年にわたり、ときおり孤立した見識ある研究の対象となった、犯された犯罪の(官僚だけでなく)国家自身の責任である。

232. (いくつかの史料や生存被害者の証言が語る)それらの残虐行為の結果として発生した人間の苦痛は想像を超えて測りがたく、ただ衝撃的である。その上、とくに重大な違反により権利を侵害された被害者が司法手続を利用できない場合、苦痛はやがて投影される。私自身の経験によれば、虐殺事件に関する(米州人権裁判所における)国際裁判において、被害から長い年月が経過した後も生存被害者(又はその承継人)が彼らの苦痛の司法的確認を求めることが幾度もあった。安易な想像とは異なり、明らかな不正義に直面した場合、とくに死者と生者の関係を深めていく文化の中では、人間の苦痛は時の経過により常に消え去るものではないのだ。不正義が持続する場合には人間の苦痛は世代を超えて投影するかもしれない。

233. ドイツの明晰な思想家であるマックス・シェーラー(1874-1928)が、死後に出版された評論(「苦しみの意味」1951)の中で全ての人間の苦痛には意味があり意味が深いほどその原因に抗うことが困難になるという彼の信念を表明した。そしてドイツの博学の哲学者カール・ヤスパース(1883-1969)は第二次世界大戦後に書かれた彼の思慮深い著作のひとつ(1953年に出版された評論)の中で、理性は「自由から発生する」「決断によってのみ」存在し、存在それ自体と切り離すことができない、我々は我々の統制をこえた事物のなすがままに存在していることを知っているが「理性は理性自体の強靭さの上にのみ存在しうる」と述べた。

234. その後まもなく、著書「歴史の起原と目標(1954)」のなかでカール・ヤスパースは彼の信念を次のように明確に述べた。

「…自然法が国際法の基礎であり、世界秩序の中で個人が実効的な裁判に頼ることを許すことによって国家による虐待から個人を保護するため、人類の主権の名のもとに活動する法廷が自然法の上に作られるであろう。…全体主義国家と総力戦は自然法と対立する。なぜならそれらにおいては人生の手段と前提が最終目標となっているだけでなく、手段の絶対的価値を宣言することにより集団の意義、人権を破壊するからである。自然法はこの世界の人間の状況のあらゆる面を代弁して生活状況を秩序づけることに専念する。」

235. カール・ヤスパースはハイデルベルグ大学において戦争直後の1945〜1946の冬に行った講義をもとにして1946年に出版され、その後の激しい批判に耐えて再刊され続けてきた啓蒙的な評論(「戦争の罪を問う」)において、発生した問題への参加の程度に応じて個人の責任の等級を定めるため刑法上の罪、政治上の罪、道徳上の罪、形而上的な罪を区別した。この長編の評論のうち「ドイツ人としての罪の区別」を扱う章において、彼は国家主権を理由とする弁明を排斥し、第2次世界大戦に関して次のように力説した。

「今回はドイツがこの戦争を計画・準備し、相手側からのいかなる挑発なしに開戦したことを疑う余地はない。1914年とは全く異なる。…ドイツは…国際法に違反し、人々の絶滅その他の非人道的結果を招くおびただしい数の行為を行った。」

236. そして彼は「政治的主権の領域に犯罪というものがあるはずがない」という疑問に対して、それは「ヨーロッパの政治生活の伝統に由来する習慣的思考」であるとみなした。彼は更に述べた。

「元首は…人間であり、その行いに対して責を負う。…国家の行為は人間の行為でもある。人間は個人として責任があり、その責任を負うべきである。…人道と人権そし て自然法の意味において…犯罪を規定する法はすでに存在する。」

実際、当裁判所における本件の審理を通して、ドイツは本件の基礎となった事実について国家責任を認めた(例えば24-31項)。

237. その上、過去数十年の間にドイツはそれぞれの場合や事情に応じて補償を支払ってきた。しかも例えばI.カント(1724-1804) や J. W.ゲーテ (1749-1832)のような世界的な思想家や作家の母国であるドイツは、有名な1970年12月7日のブラント前首相のポーランドのワルシャワにおける静かな謝罪のような公的な謝罪表明を含む悔恨の表明を繰り返し行ってきた。そうであれば、ドイツは本件をこの裁判所に提起する代わりにどうして今日にいたるまで補償を受けていない生存するイタリア軍人収容者に補償を支払わないのか疑問である。

238. 私見によれば、当裁判所の本件判決において、いつまでも未解決なイタリア軍人収容者の状況について、「驚き」と「遺憾」の表明にとどまらないことは可能であり、そうすべきであった。実際、国際人道法や人権に対する重大な違反の抽象概念を作る試みや、それを「不法行為」の一種に吸収しようという試みは、目隠しにより日光を防ごうとすることに似ている。主権免除の分野においてさえ裁判を受ける権利と国際責任に焦点を当てた国 際法と人権の出現によって、それらの重大な違反の事件における免除を制限または排除 するという意味の変化が進行していることが認められてきた。

239. 今日、被害者により補償請求されている国際犯罪の事件での主権免除否定を支持する方向の意見が力を得て来ている。実際、貿易関係や個人への損害賠償(例えば交通事故)の領域で主権免除否定を認めながら、同時に国家の犯罪的政策の追求による人権や国際人道法への重大な違反にについて国家を主権免除により保護しようと主張することは、私の理解によれば法的に不条理である。

XXIV. 人権と国際人道法への重大な違反の被害者としての個人の補償請求権

1. 被害者個人に補償する国家の義務

240. 早くも1927-1928年に常設国際司法裁判所は「約定の違反は適切な形態での補償義務を生ずる。したがって補償は条約不履行の必然的な代償である」と国際法の根本原則を反映した慣習国際法の規範に明白な法的承認を与えた(ホルジョウ工場事件判決第8)。 常設国際司法裁判所はさらにそのような補償は「可能な限り違法行為の結果を除去し、 あらゆる蓋然性においてその行為が行わなければ存在したであろう状態を回復することである。」と述べた。(ホルジョウ工場事件本案判決第13)

241. すでに述べたように、本件においてドイツは基礎事実である人権と国際人道法に対する重大な侵害についての国家責任を自ら認めている(上記第Ⅲ節参照)。国家の補償責任はそれらの重大な侵害の「必然的な代償」として不可避的に発生する。その上、常設国際司法裁判所の確立した判例はすでに両大戦間の時代にその義務は全ての面(例えば、範囲、形態、受益者)において国際法により決定され、責任国の国内法の適用、解釈、施行困難などの理由により修正又は解除されるべきではないと判示していた(ダンツィヒ裁判所の管轄権に関する勧告的意見(1928)、ギリシャ・ブルガリア「共同体」に関する勧告的意見(1930)、上部サヴォアとジェクスの自由地帯事件判決(1932)、ダンツィヒ領域におけるポーランド国民及び他のポーランドの出身または言語の者の待遇に関する勧告的意見(1932))。

242. 人権と国際人道法への重大な違反の被害者である個人の補償請求権については、本件において当裁判所で多くの議論が尽くされた。これについてドイツは、一般国際法の下では個人には補償請求権がなく、「特に戦争被害に対する」補償請求権は存在しないと主張した。その見解によれば、「1907年のハーグ陸戦条約第3条も1949年の国際人道法に関する ジュネーブ4条約の第1追加議定書(1977年)もこれらの条約の基本構造に従う限り国家間の国家責任を規定したものであり、したがって個人に対していかなる直接的な効果を及ぼすものではありえない」。特に個人が裁判所に訴える権利を与えられるかという問題についてドイツは次のように主張した。

「多くの制約がある裁判を受ける権利と、解釈論としても存在しない戦争犯罪の結果として主張される提訴権という二つの異なる概念の不当な混合が力を合わせて最高規則である強行規範を創出するという解釈には無理がある。」

243. 一方イタリアは「不公平な特典からの個人の権利の保護と、個人の裁判を受ける権利と損害賠償請求権の承認」の目標は「免除規則と例外のさらなる発展にも影響を与えた」と反論し、さらに次のように主張した。

「強行規範により認められた個人の尊厳の最も根本的な原理に対する重大な侵害への補償を求める個人の提訴について主権免除を制限することは合理的で公平な解決策であるとみることができる。」

そして「国際法秩序の根本規則に対する違反の被害者らが国内裁判所への提訴以外の全ての補償手段を奪われている場合、主権免除による手続的抗弁がそのような被害者らの唯一の利用可能な救済手段を奪うものとして使用されるべきではない。」と主張した。

244. 一方ギリシャもこれについて、「ギリシャ裁判所の立場における根本的主張は、人道法への重大な違反に関する個人の補償請求権を承認することに根拠を置いている」と主張した。ギリシャはさらに次のように主張した。

「条文に明文で規定されているわけではなく、個人は国家間条約を媒介にする必要があるとしても、人道法違反について個人に補償する国家の義務は1907年のハーグ陸戦条約第3条から導かれる。それは個人が第3条の文言から除外されていないことから明らかである。この趣旨の主張はすでに第2回ハーグ平和会議における条約準備作業において現れていた。」

245. 個人の補償請求権はこの問題に関する国際人権裁判所(欧州、米州のような)の多くの判例によって確立した国際人権法である。その上国際公法は、伝統的には国家間平和条約に包摂されると考えられていた戦争被害者個人の補償請求について発展途上にある。19世紀以来そのような古典的な考えを個人の請求に対する「一般の裁判所」の判断の新しい流れによって再構築しようという試みが続けられてきた。いずれにせよ国際人道法違反の 究極的な被害者は国家ではなく個人である。

246. 第2次世界大戦中(1943-1945)にドイツの軍需産業で労働を強制された個人、または1944年のギリシャのディストモ虐殺やイタリアのチビテッラ虐殺被害者の近親者、またはその他の国家の残虐行為の被害者はそれに対する補償請求権の保持者(そして受給権利者)である。被害者は今日一般的に承認されている補償請求権を含む権利の真の主体である。今日では国際人道法の分野にもその例証がある。この関係で国際赤十字委員会(ICRC)の慣習国際人道法規則に関する研究をとりあげることができる。規則150は次の通り規定する。「国際人道法違反に対する国家責任は、それによる喪失や負傷に対する完全な補償であることを要する」。特に「個人の直接的な補償請求」の問題について規則150は「国際人道法違反の被害者個人の責任国に対する直接的な補償請求を支持する趨勢が強まっている」と述べている。

247. その上2004年の国連事務総長に対するダルフール国際調査委員会報告書は人権と国際人道法違反を断定した後、「それは実行者個人の刑事責任だけでなく、その名のもとに実行者が行動した国家(または国家類似組織)の国際責任を生じさせる」、そしてそのような国際責任は「国家(または国家類似組織)が被害者に補償を支払わねばならない」ことを要求すると述べている。

248. 2004年報告は国家責任の分野における国際人権法の影響を指摘した後、今日、「国家に対してだけでなく個人に対しても国家責任に基づく補償を行うという強い趨勢」があると主張した。前記のダフール委員会は人権に関する国際法の影響の下で次のように結論づけた。

「重大な人権侵害が行われ、それが国際犯罪を構成する場合には、常に違反を実行した個人の刑事責任だけでなく、実行者の国籍国または実行者が法律上または事実上の機関として行動した国家に損害に対する救済(補償を含む)の義務が課されるという命題は今日では当然のことである。」

249. エチオピア・エリトリア請求権委員会の法的制度も参照に値する。委員会の成立根拠となったエリトリア国とエチオピア連邦民主共和国の政府間の2000年12月12日協定第5条(1)によれば、

「一方の政府による他方に対する、又は一方の国民による他方の政府又は他方が所有又は支配する物に対する傷害や損害に関する全ての請求について拘束力ある裁定により決定する」。

その上、2010年の国際法協会(ILA)国際武力紛争被害者に対する補償(実質問題)国際委員会は武力紛争被害者のための補償についての国際法原則に関する宣言(実体問題)草案において補償請求権(第6条)に言及し、国際人権法における個人の重要な位置を認め、武力紛争に適用される国際法の規則において個人が弱い立場に置かれる理由はないと述べた。

250. 同じように、国際人権法への重大な違反と国際人道法への深刻な違反の被害者のための救済と補償の権利についての2005年の基本原則とガイドラインは第15条に被害者に補償する国家の義務を明記した。

「その国内法と国際法上の義務により、国家はその国家に帰責され、国際人権法に対する重大な違反や国際人道法に対する深刻な違反を構成する行為や懈怠の被害者に補償を行うべきである。」

これらの最近のすべての発展は頑迷で伝統的な国家中心思考を超え、人権と国際人道法への重大な違反の被害者としての個人の補償請求権を確立した。

251. 主権免除の分野が近年のそのような著しい発展から取り残されているとしたら、奇妙で超現実的である。そのような重大な違反による補償の権利の保持者は傷つけられた被害者個人である。 私が本件の2010年7月6日裁判所命令(イタリアの反訴却下)に対する反対意見(第178項)で主張したように、国家は自らに属さない権利を放棄することはできない。人間からその補償請求権を奪うために、国際人権法や国際人道法のような国際法の分野における目覚しい発展に背を向けることはできない。それは明らかな不正義を招くことになる。

252. 私には、人権と国際人道法への重大な侵害に対する補償制度は、戦争犯罪や人道に対する罪の結果損害を受けた個人の損失のもとに国家間レベルに限定されるという主張は明らかに根拠がないと思える。結局それらの個人は、その結果彼らに損害を与えた重大な国際法違反について補償を受ける権利の保持者である。補償制度は専ら国家間に属するものであるという解釈はもはや国際法秩序における個人の地位についての完全な誤解と言ってよい。私自身の考えでは「個人は、国家に優先する自身の権利の承認により国家から解き放たれた」。したがって、人権と国際人権法への重大な侵害に対する補償制度が国家間レベルに限定され、個人は何の補償を得ることもなく背後に取り残されることはありえない。

253. 国内裁判所が被害者にとって人権と国際人道法への重大な違反に対する補償を得る唯一の手段ではないということも念頭に置くべきである。実際に、個人が補償を獲得するための別の手段として国際法廷がある。それらの中には国連安保理事会や平和条約又は国家や法人が設立した混合法廷、委員会及び準司法機関や「未解決の請求」のための仲裁がある。したがって国内裁判所は事件の性質によっては被害者のひとつの救済手段となるが、それは唯一のものではない。今日の国際法では国内裁判所と国際裁判所はさまざまな分野でますます緊密に接触するようになっている。

254. 例えば個人の権利の保護という国内公法と国際法が交錯する場面において、国家の義務として実効的な国内救済がはかられることがその一例である。地域統合法の分野において先決裁定手続 (例えばEC条約第234条によるもの)は同じ効果を有するもう一つの例を提示している。国際刑事法における補足性の原則も、もう一つの例である。そして多数の例証は究極的な法の統合を明らかにしている。実際、究極的な問題は国内・国際レベルにおける裁判の実現である。結局のところ、国際犯罪は誰が実行しようと主権行為ではなく犯罪である。それは被害者への補償が要求される人権と国際人道法への重大な違反である。主権免除の主張は被害者個人に補償を行うべき国家の義務と両立しない。

255. 実際、今日では米州人権裁判所も欧州人権裁判所も認めている(国家の義務に対応する)広義の裁判を受ける権利の構成要素としての個人の補償請求権の承認は、、主権免除に関する本件の基礎事実のような人権と国際人権法に対する重大な違反の件においては、より説得的である。主権免除は法的真空状態の中で考察することはできない。本件の当初の書面手続から口頭手続の終了にいたるまで、両当事者間の主要な対立の分岐点はまさに人権と国際人道法への重大な違反の被害者に補償を行う国家の義務と主権免除の対置であった。

256. 訴答書面で明確に説明されたドイツの命題は次の通りである。

「イタリアは私的当事者が法廷地国の裁判所に外国を提訴することを禁止している主権免除の原則に拘束される」。

ドイツの見解によれば、

「イタリアにはドイツがその原則により享受する主権免除を無視するいかなる正当化事由もない」。

反対に答弁書で説明されているイタリアの命題は次の通りである。

「根本的な規則に対する重大な違反を犯した国家は仮にその行為が主権行為であったとしても、その違法行為について主権免除を援用する資格があるとは考えられない。仮に主権免除が認められるとすれば、主権免除は被害者への絶対的な裁判拒否と国家の不処罰を意味することになる」。

イタリアの見解によれば、

「国際法秩序が一方でその価値を減殺することを許さず、それに対する違反を容赦しない根本的な実体的規則を確立し、他方で免除が実質的に不処罰を意味する状況の下でそのような根本的な規則の違反の立案者に免除を与えることはありえない。」

257. 人権と国際人道法ヘの重大な違反の被害者個人に対する国家の補償義務という問題の考察は決して避けることができない。それは慣習国際法と法の根本的な一般原則による国家の義務である。そうすると次にイタリアが主張するような第2次世界大戦中に行われた重大な違反の被害者に対する補償義務に責任国が従ったかという問題を検討しなければならない。そこで、次の点が順次検討されるであろう。それは第1に本件における被害者の類型、第2に「記憶、責任、未来」基金(2000)の法的枠組み、第3に両当事者の主張に対する評価である。

2. 本件における被害者の類型

258. イタリアによれば、前記の違反について補償を受給する権利のある3つの類型の被害者が存在する。すなわち、
(i) 収容され、戦争捕虜の地位を否定され、強制労働のために移送れさた軍人たち(いわゆる「イタリア軍人収容者」)
(ii) 拘禁されて収容所に移送され、強制労働させられた民間人
(iii) 自由の戦士に対する恐怖と報復の戦略の一部として虐殺された民間人

259. イタリアは「今のところ彼らのうちで補償を受けとった者は全く、あるいはほとんどいない」と主張した。イタリアはさらに拘禁され強制労働のために収容所に移送された(ⅱ)の類型に属するフェッリーニ氏について特に言及した。彼はすでに1998年にアレッツォ裁判所に訴訟を提起していたが、彼もドイツ当局に補償の支払いを求めていた。しかしフェッリーニ氏は2000年8月2日の法律(「記憶、責任、未来」基金法)による補償請求を提 出しないことにした。「なぜなら、彼は基金法第11節1項の規定する『他の場所に監禁』された者ではなく、その上基金のガイドラインに規定された要件に適合すると証明できる立場になかったからである」。

260. イタリアは更に次のように述べた。
「2001年にフェッリーニ氏は他の原告らとともに基金法10節、第1,11項、第3項と第16項、第1項と第2項について連邦憲法裁判所に違憲審査を申し立てた」。そして「この申立は連邦憲法裁判所に却下された」。
このような背景事実を念頭におき、次に2000年に設立された「記憶、責任、未来」基金の法的枠組みを検討しよう。

3. 「記憶、責任、未来」基金(2000)の法的枠組み

261. 1999年から2000年にかけて、ドイツは第2次世界大戦中の交戦国であったかなりの数の国と戦争中にドイツ企業や公共部門において強制労働に従事した個人への補償についての外交交渉を行った。イタリアによればこの交渉はアメリカの裁判所において元強制労働者らがドイツ企業に対して提起した訴訟がきっかけであり、そのような背景についてドイツと米国は元強制労働者の請求に対応する制度の創設を予定することを合意した。

262. そのような合意に従い、2000年8月2日にドイツ連邦法が制定され、「記憶、責任、未来」基金が創設された。基金の目的は強制労働「及び国家社会主義者時代の他の不正義」(基金法第2条(1))の被害者個人のための資金を形成することであった。基金は基金法に規定された個人に直接補償金を支払わず、合計額を受領したいわゆる「協力組織」が支払うことになっていた。(基金法第9条)

263. 基金法第11条は補償受給資格の要件を次のように定義している。
(a) 「強制収容所またはその他の刑務所、収容所、それに準ずる環境のゲットーに拘禁され強制労働に従事させられた者」(第11条 (1)) 、
(b) 「母国からドイツ(1937年の国境による)またはドイツの占領地域に追放され、企業または公共部門で強制労働に従事されられ、…拘禁され、またはとりわけ劣悪な生活環境に置かれた者」 (第11条(2))、
そして(c)は、戦争捕虜の地位にあった者はこの法による受給または受益の資格がないと明文で述べており(第11条 (3))、本件において重要である。

264. したがって、基金法が特に他のドイツの補償制度から取り残された類型の被害者を救 済しようとするものであるにも関わらず、基金法第11条(3)は「受給資格は戦争捕虜の地位によるものではありえない」と述べ、戦争捕虜を明文で除外した。この条項の射程について基金法の公式注釈が指摘している。

「連邦政府は除外の理由を次のように説明した。『国際法規則は戦争捕虜を労働させることを収容当局に許しているから、強制労働に従事した戦争捕虜には受給資格が与えられない』。しかしながら、戦争捕虜が釈放後に『民間人労働者』とされた場合には、他の要件を充足していれば基金法により受給資格が与えられる。」

ただし、連邦財務省との合意により2001年8月に作成された「ガイドライン」では、基金理事会は「強制収容所に収容されていた戦争捕虜」は「特に国家社会主義者のイデオロギーによる差別と虐待を受け、強制収容所への収容は一般の戦時中の境遇とは言えないので」基金法による受益者から除外されないとして、除外の範囲を限定した。

265. このような背景に関して、基金法の下での「イタリア軍人収容者」の受給資格の問題に関するある専門家意見(C.トムシャット)を看過することはできない。この専門家意見は、ドイツは本来戦争捕虜の地位を与えられるべき人々を強制労働者として扱ったが、彼らの実際の地位は戦争捕虜であるとドイツ政府にアドバイスした。この専門家意見の言葉によれば、「イタリア軍人収容者は」「第三帝国による大規模な侵害にも関わらず第2次世界大戦終了後の彼らの最終的な解放にいたるまで国際法により戦争捕虜の地位を保持していた。従って基金法第11条(3)の除外条項は原則として彼らに適用することができる」。

266. このように、この専門家意見は軍人収容者の(それに付随する権利とともに)実際には拒否されていた法律上の地位を事実上の待遇に優先させた。前記の専門家意見によるこのアドバイスに基づき多くの被害者は基金法第11条(3)の例外規定に含まれることになり、補償制度から除外された。このような背景についてイタリアは、2000年以来「数千人のイタリア軍人収容者と強制労働に従事したイタリア民間人が」基金法に基づき「補償申請をした」が、それらの申請は「ほとんど全て拒絶された。」と述べ、さらに次のように主張した。

「2003年、ドイツの行政裁判所は何人かの『イタリア軍人収容者』による訴訟を却下した。イタリア裁判所に係属した事件はフェッリーニ事件を唯一の例外として2004年以降に提訴された。その時にはイタリア強制労働者はドイツ当局から補償を受ける可能性がないことが明白であった。」

267. 私の理解によれば、「イタリア軍人収容者」が彼らが実際には拒否された地位を理由に 補償の受給から除外されたことは遺憾である。この人々の戦争捕虜の取扱いを受ける国際法上の権利を否定したことはまさにナチスドイツによる多くの違反のひとつである。この違反にもとづいて補償拒否というもう一つの違反を行うとは、イタリアの指摘するように「カフカ風の法のブラックホール」であり、二重の不正義を作り出すものである。

4. 両当事者の主張についての検討

268. 次にイタリアが言及した被害者に対する補償の問題について、両当事者が本件の手続において書面及び口頭で主張した内容を検討しよう。ドイツの提出した主張と証拠はどの特定の被害者が実際に補償を受け取ったかについて一般的に明らかにしていない。ドイツは「ここは1945年以降に連合国がドイツから受け取った全ての補償についての完全な貸借対照表を明らかにする場所ではない」と述べて1945年以降に支払った補償の完全な計算を提出しないが、ドイツとイタリアの1961年の二つの協定により「かなりの金額がイタリアに支払われ」、平和条約の請求権放棄条項にもかかわらず「公平の見地から」イタリアに支払を行ったと述べた。

269. さらにドイツは口頭の主張のなかで「イタリア軍人収容者」は基金法の解釈により補償を受けていないことを次のように明確に認めた。

「イタリアはドイツが2000年の『記憶、責任、未来』基金法を制定して初めてその法の人的適用範囲からイタリア軍人収容者が除外されていることに苦情を申し入れた。このグループの人々は戦争捕虜としてその時期遅れの補償制度の目的に含まれていなかった。」

270. 一方イタリアは書面による主張の中で1961年のドイツとイタリアの二つの協定は「非常に多数の被害者をカバーせず」、「未だに適切な補償を受けていない」と述べた。イタリアは、ドイツが過去数十年の間に戦争の残虐行為の被害者からの補償請求に対応するための多くの手段を創設し、実行したことを認め、二つの重要な立法(1953年連邦補償法、2000年8月2日基金法)が制定されたことにも言及したが、しかしながらどれもイタリア人被害者が補償を得るための実効的な法的手段を提供しなかったと述べた。
これについてイタリアは、1953年の連邦補償法では外国人は一般的に補償から排除されたと述べ、基金法について次のように主張した。

「13万人以上のイタリア強制労働者が2000年8月2日法により補償申請をしたが、大多数(12万7000件以上)の申請が同法の過度に厳格な補償要件によって却下された。」

271. イタリアは次のようにも主張した。

「ドイツが今までに創設した制度(関連協定によるものと一方的行為によるものを含む)は、特にそれらの制度がイタリア軍人収容者や第2次世界大戦の最後の数か月にドイツ軍隊によって実行された虐殺の被害者のような数種の類型の被害者をカバーしていないという理由により不十分であることが証明された。」

一方ドイツは特定の被害者については言及せず、その代わりに「すべての関係国と全ての戦争被害を包括する広範な計画のもとに」「補償が行われた」と一般論だけを主張した。

272. ドイツはイタリアとギリシャのために一括支払いが行われたことにも言及し、「およそ3400人のイタリア民間人が『記憶、責任、未来』基金によって強制労働に対する補償を受け」、「およそ1000人のイタリア軍人収容者が基金制度により強制労働に対する補償を受けた」と主張した。ドイツはこの後者のグループについて「2000年に元強制労働者に対して見舞金を支払うことを決めた」と主張したが、「戦争捕虜はこの特別の構想に含まれず」「人種的、思想的迫害も受けた軍人収容者のみが支払の対象となった」と認めた。

273. 前記の主張に続いてドイツは、全ての「イタリア軍人収容者」が補償を受けたのではなく「人種的、思想的迫害」も受けた者だけが対象となったと述べた。イタリアはドイツのこの主張に対し、本件紛争の基礎となる問題はそのような後者の被害者に関するものではなく、「ドイツも間接的に認めているように、未だに補償を受け取っていない数万人のイタリア人被害者への戦争犯罪に対する補償の義務」に関するものであると反論した。イタリアは「その他の被害者、すなわち大多数の被害者を代表する、迫害被害者ではない被害者は全く補償されないままであるという事実を明瞭かつ完全に認識できる」と結論づけた。

274. すでに指摘したように、当裁判所の2011年9月16日の口頭弁論の最後に私が両当事者に行った質問のひとつはまさにこの事実を明らかにしようとするものであった。「被告が言及した特定のイタリア人被害者は実効的な補償を受けたのか」そして、もし受けていないならば「彼らはその権利が与えられたのか、そして国内裁判所以外のどのような方法によって実効的に補償を受けることができるのか」。両当事者のこの質問に対する回答は争点に対する各々の立場を明らかにするものであった。

275. ドイツは2010年7月6日の裁判所命令(反訴請求)に言及したり、「第2次世界大戦 に関する補償が未だに請求可能か否かという問題は本件の内容ではない」と述べてこの質問を避けようとした。ドイツは第2次世界大戦についての補償制度は古典的な国家間の包括的な制度であり、ドイツに対する請求権を有すると考えている被害者らはドイツ裁判所に提訴することができると断言した。ドイツはそれらの特定の被害者が補償を受けたかという事実に関する質問に焦点を当てず、2010年7月6日の裁判所命令(反訴請求)に曖昧に依拠してこの質問を避けているように見えた。

276. 一方イタリアはこの質問に対し「この紛争の基礎事実をなす事件で言及された類型の被害者はだれも補償を受けていない」と明確に答えた。さらに、数十年にわたる補償請求の試みが全く実を結ばなかったにも関わらずいかなる制度も設けられなかったことからみて、いくつかの類型の被害者は補償を請求することが不可能であるとも述べた。更にイタリアはこのような類型の被害者に対する補償を目的とした協定の締結をドイツ側が強く嫌悪していると主張した。 また、イタリア軍人収容者に対する補償の問題は、基金による補償の可能性に関する議論のなかで駐ベルリンイタリア大使により提起されたことがあると述べた。

277. イタリアは同時に、これらの類型の被害者らが補償を得るためには国内裁判所における訴訟以外の手段は存在しないと主張した。また仮に国内裁判所の裁判官が主権免除を否定しなかったなら、戦争犯罪の被害者が補償を受けるための他の手段は残っていなかったと述べた。私の質問に対するドイツの書面による回答に対する論評において、イタリアはさらに、ドイツの主張はおびただしい数のイタリア人戦争犯罪被害者に補償が行われず、その補償拒否は1947年の平和条約第77条の請求権放棄条項により補償義務を免れたという主張に根拠をおいていることを明らかにしたと主張した。ドイツはイタリアの「この紛争の基礎事実をなす事件で言及された類型の被害者はだれも補償を受けていない」という明確な主張を争わなかった。私の質問に対するイタリアの回答への論評においてドイツはこの主張に反論して誤解を解く機会があった。それにもかかわらずドイツはこの強い主張に対して沈黙を守ったことを看過すべきではない。

278. 既に述べたように、補償が行われたか否かと言う問題は裁判所の記録に照らして評価されるべきである。両当事者には書面及び口頭手続においてこの問題を明らかにする充分な機会が与えられた。彼らは私から単純な事実に関する質問にはっきり答えるように求められた。イタリアはそれに答えた。ドイツは2010年7月6日の裁判所命令(反訴請求)の効果により補償の問題はこの紛争から除かれたと主張してこの質問を回避した。 これは全く説得力に欠ける。もし私の質問にはっきりと答えたなら、裁判所がこの事実に関する問題を明らかにする助けになったであろう。上記により、当事者が提出した証拠及び主張根拠から、イタリアの最近の判例で言及された特定の被害者らは実際に補償を受け ていないと見ることができる。

279. この問題の結論として、裁判所の記録はイタリアが本件訴訟においてイタリアの最近の判例が言及したどの被害者も補償を受けていないと繰り返し主張したことを示している。これはイタリアにとって本件の基礎をなす基本的主張である。ドイツはその書面と口頭の主張、私の両当事者に対する質問においてこれに反駁する十分な機会があった。ドイツはこれらの特定の被害者に補償をしたという証拠を提出せず、その代わり支払についての一般的な言及にとどめ、ただ「イタリア軍人収容者」は「記憶、責任、未来」基金の構想の範囲の外にあることを認めた。

280. 要するに、既に述べたように(C. トムシャットの)専門家意見を根拠にドイツは強制労働者として使役されたイタリア人戦争捕虜(「イタリア軍人収容者」)に基金による補償を行わなかった。ドイツはそれらの被害者の待遇について彼らに二重の不正義を背負わせる解釈を採用した。第1に彼らが戦争捕虜としての権利により利益を得ることができたときにその地位は否定され、第2に、今、彼らが被害を受けた国際人道法違反(戦争捕虜の地位を否定したという違反を含む)に対する補償を請求すると、彼らは戦争捕虜として扱われるのである。

281. 彼らが戦争捕虜であるとみなされたのが遅すぎたのは(しかもなお悪いことに補償を拒否することは)遺憾である。彼らは第2次世界大戦中とその直後に(その保護のために)戦争捕虜とみなされるべきであったが、そのようにみなされなかった。これらは争いのない痛ましい事実である。上記により、裁判所の記録によればナチスドイツの人権と国際人道法に対する重大な違反の多くの被害者は実際に補償されることなく放置されていると、最終的に結論することができる。

XXV. 人権と国際人道法への重大な違反の被害者個人に対する補償の必要性

1. 補償の一形態としての裁判の実現

282. 私の理解によれば、本件で問題となった人権と国際人道法への重大な違反の被害者個人に対する補償は必須の課題である。被害者個人の補償を受ける権利は彼らがこうむった人権と国際人道法への重大な違反と分かちがたく結びついている。主権免除に関する本件においても、補償と主権免除についての当事者の主張は全く不可分であり、イタリアの反訴請求を即時却下した2010年7月6日の裁判所命令の方法によっても全く分離することはできない。その決定(私の反対意見がある)は口頭弁論を経ずに、論点先取の虚偽の論法 を内容とする簡潔な二つのパラグラフ(28と29)に基づいて行われた。

283. 私がすでにこの反対意見(上記18-23項)で指摘したように、両当事者のドイツとイタリアは主権免除に関する対立した意見を展開するために本件の事実的及び歴史的背景について言及し続けた。本件の事情において主権免除と戦後補償の主張がコインの表裏のごとく不可分であることは驚くにあたらない。これは私が本件から引き出した多くの教訓のひとつである。その事実的背景は、国家が法の上に立とうとするときには必ず人権と国際人道法への重大な違反を含む人間に対する虐待が行われることを示している。

284. 法の支配はいかなる国家も法の上に立つことはできないという国家権力に対する法による制限をともなっている。法の支配は自然法思想に由来する特定の根源的価値を守り、保障しようとする。この価値が忘れられると必ず抑圧のための国家機関が組織され、人権と国際人道法と法作用への組織的で重大な違反が行われることになる。そして不処罰を終らせる裁判の現実化は、私見によれば、それ自体被害者に対する補償(満足)の重要な一形態をなす。

2. 重大な違反に対する法の反作用としての補償

285. それは、人間を犠牲にする過激な暴力に対する法の反作用と非常に類似する。我々はここで強行規範(後記参照)の分野についての議論を始めている。法は自然法の規範にしたがって人間関係を調整し、人間の苦痛の緩和をめざすため、粗野な権力に対する優越を主張する反作用を働かせる。このためには裁判の実行と被害者への補償が必須である。イタリアの法哲学者サンティ・ロマーノはその著書「法秩序」(1918年)において、制裁は特定の法規範により規定されるのではなく、法秩序全体に内在し、そこに存在するすべての権利の「実効的な保障」として機能するものに規定されると主張した。人間を犠牲にする過激な暴力行為が行われた場合、基本的権利の侵害には被害者への補償(満足)を実現する裁判が最重要であることを保障する(国内及び国際の)法秩序の反作用が内在する。

286. 私は10年前に別の国際裁判所(米州人権裁判所)の判決でまさにこの点について論ずる機会があった。そのとき私は究極的には人間の良心から発生し、それによって活動する法が賠償(語源はラテン語のreparare(再度配列する))を支払わせることを指摘した。そして、その法は更に侵害行為が二度と繰り返されないために介入するのだ。賠償はすでに実行された人権侵害を終らせるものではない。しかし、それは(不処罰や忘却という社会環境とは異なり)、少なくともすでに発生した苦痛の増幅を防ぐことができる。

287. 私がその機会に次のように述べたとおり、この見解によれば賠償には二つの意義が見出される。

「それは権利を侵害された被害者やその親族に(賠償の一形態としての)満足を与え、同時にそのような侵害により破壊された法秩序(人間の固有の権利の完全な尊重の上に立てられた法秩序)を再建する。したがって再建された法秩序は侵害行為が二度と繰り返されないことの保障を要求する。…賠償は法秩序を再建し、生き残った被害者の人生を立て直す。しかしそれは彼らの日々の生活に不可避的に伴う苦痛を除去するものではない。損失はこの意味において全く取り返しがつかない。それでも賠償は正義を回復する責任を負う者の不可避の義務である。人間の良心及び法それ自身が偉大な発展を遂げた時代には、裁判の現実化は支配者の妨害行為や抑圧的な法の制定などすべての障碍に優先し、重大な人権侵害が時効によっても消滅しない絶対的なものであることを明らかにするものであることは疑いの余地がない。…賠償はこのような同じ人間に対する処遇における違反、公権力を有する責任者の不処罰、社会の無関心や忘却のような様々な形態で現れる人間の残虐行為に対する法のレベルでの反作用である。
破壊された法秩序 (その根本にあるのは明らかに人権の尊重である)の反作用は、究極的には人間の連帯の精神により動かされる。…裁判の現実化の枠組みの中で、被害者(またはその親族)の満足と侵害行為の再発防止の保証を含むものと理解される賠償は…否定することのできない重要性が認められる。無関心と忘却の拒否と違反の再発防止の保証は私たちの住む価値基準が欠如した暴力的な社会における、被害を受けた者と受ける可能性のある者の連帯の連鎖の兆候である。これは究極的には生き残った者と死んだ犠牲者をつなぐ連帯の連鎖の雄弁な表現である。…」


XXVI. 強行規範の優越 : その解体の試みに対する反駁

288. 最後の論点に移ろう。この反対意見において主権免除の要求が問題となるたびに、強行規範に関する曖昧な姿勢に強く反対してきた(前記第224-227項)。実際、主権免除に関する本件について、裁判所の多数意見と私の立場には多くの点(方法論、採用し追求されたアプローチ、論拠、結論)について深い対立があるようだ。この反対意見を、本件判決が論及している争点についての私の立場の根本にある特に重要な一つの点に絞るとすれば、それは国際法における強行規範の強化と優越性である。実際に、強行規範の優越性がなければ国際法には暗澹とした未来が待っているだろう。それはよりよい未来への希望が消え去ることであり、私は受けいれることができない。

289. 私は現代の国際裁判所である米州人権裁判所に最近係属した一連の虐殺事件に関する痛ましい国際裁判に裁判官として関与した経験があり、その中で人間というものの性質の最も暗い側面に接してきた。すでにそれらの事件の判決は宣告され、現代国際法(特に国際人権法)の歴史に属している。私はその体験の記憶を編集したので、現在及び未来の世代の国際法研究者は私がそこから得た教訓から得るところがあるかも知れない。私はこの反対意見においてこれらの教訓を回顧するつもりはない。ただ基本的な人間の価値に対するきめの細かい配慮なくして人権と国際人道法に対する重大な侵害のような事件にアプローチすることはできないことだけを指摘しておく。法実証主義者の思い込みに反し、法と倫理は分かちがたく結びついており、このことは国内・国際レベルでの裁判の確実な現実化のために心に留めておくべきである。

290. 「人道に対する初歩的配慮」の援用は、そのような考察が現実に適用された結果を予想し対応する一貫性の保障を欠いた修辞であってはならない。その上、法的信念についての非常に狭い見解を維持し、それを全く考慮に入れなくなる地点まで慣習の主観的要素を切り縮め、法の一般原則から追放すべきではない。本件において(裁判所の叙述によれば)「法廷地国の領域内で外国の軍隊により行われた行為」は、責任国であるドイツ自らが本件訴訟の全ての段階で認めていた違法「行為」である。それらは裁判所が繰り返し述べたような主権行為ではない。それらは違法行為であり、実行した国家と個人の責任をもたらす国家犯罪、残虐行為、最も重大な国際犯罪である。私がすでに述べたように、主権行為と業務管理行為の伝統的区分は本件のような重大な事件では意味をもたない。

291. 主権平等の原則は国家関係について適用されるきわめて基本的な原則である。それが正しく考慮されていたなら、それらの残虐行為や国際犯罪はその時(1943〜1945)そのうような形で発生していなかったであろう。いずれにせよ本件は国内レベルで実行された残虐行為や国際犯罪に関するものであるから、その原則は本件の要点ではない。私の認識では問題についての中心となる原則は人道の原則と人間の尊厳の原則である。私の見解では、国際犯罪に対する国家責任とその不可分の補完物である被害者に補償をする責任国家の義務の上位に主権免除を不当に位置づけることはできない。

292. すでに述べたように、ハーグ法廷(常設国際司法裁判所と国際司法裁判所)の確立した判例は、原則として国際法違反とその結果を解消するための補償義務は不可分一体をなしているという解釈を支持している。本件判決のように、まるで暗い嵐(第2次世界大戦の社会的破局)の中から雷が不可分一体の物の上に落ち、それを粉々にしてしまうような作用を主権免除にさせてはならない。すでに述べたように主権免除は権利ではなく特典又は恩恵である。それを明白な不正義を招くような方法で維持してはならない。

293. 裁判所の多数意見は本件のような状況においても主権免除を維持することを正当化するため、争いの内容に関する国内裁判所の相対立する判例や矛盾する国内立法例を経験主義的に事例調査した。この調査は事実への過剰な関心と価値の忘却という法実証主義者の独特の方法論によるものである。そしてその見解に立つとしても、国内裁判所判決の事例調査は私から見ると国際犯罪のケースにおいて主権免除を決定的に支持するものではない。

294. 国内立法についても、私の見解では、人権と国際人道法違反のケースにおける主権免除否定を数カ国の少数の立法例によって抑止することはできない。そのような実証主義的調査は国際法の化石化を招き、その予期される進歩的発展ではなく、頑固な未発展を招くことになる。そのような不当な方法論は法律家の間に広がっているある種の不適切で説得力に欠ける概念化、とりわけ「主要な」規則と「副次的」規則、「手続」規則と「実体」規則、「行為」義務と「結果」義務の対立のようなものと一体となっている。言葉、言葉、言葉…価値はどこに行ったのか?

295. その種の概念化に頼ると、時に主権免除に関する本件のように、明らかな不正義に陥ることがある。裁判所は再び手続法(同裁判所の逮捕令状事件(コンゴ民主共和国対ベルギー)判決(2002)によれば、そこに主権免除が位置付けられる)と実体法の対立に依拠した。私見によれば、手続法と実体法の分離は存在論的にも義務論的にも実行不可能である。形式は内容に一致する。法手続はそれ自体で完結しない。それは裁判の実現の手段である。そして実体法の適用は最終的なものであり、裁判が実行されたことを意味する。

296. 本判決において多数意見は実体的な(「占領地における民間人虐殺、奴隷労働のための住民移送、奴隷労働のための戦争捕虜移送」の禁止を規定する)「強行規範」と手続的な「主権免除規則」には抵触は存在しない、または存在し得ないという誤った仮定から出発した。この同義反復的な仮定は裁判所を本件のような重大な状況下でさえ主権免除を維持する判断に導いた。形式主義者には認識できなくとも、そこには本質的な抵触がある。抵触は存在し、裁判所の推論は強行規範からその効果と法的重要性を剝奪するいわれのない解体を導くものである。

297. このような事が起きたのは初めてではない。以前にも、例えば過去10年間に、本判決で裁判所が引用した逮捕状事件判決(2002)、コンゴ領域における武装活動(コンゴ民主共和国対ルワンダ)事件判決(2006)がある。今こそ、強行規範に、それが要求し受けるに値する注目をすべき時だ。本件のような強行規範の解体は人権と国際人道法への重大な違反の被害者個人のみならず、現代国際法自身にとっても損失である。要するに、私見によれば、 民間人虐殺や奴隷労働のための民間人や戦争捕虜の移送のような国際犯罪について主権免除の特典や恩恵はありえない。強行規範による絶対的禁止への重大な侵害に主権免除はありえない。

298. 主権免除を個別化したり孤立化する(虚空の中で主権免除を考察する)見地から考察し続けるべきではない。それは現代国際法全体の包括的な観点と主権免除が国際社会に果たす役割から考察されねばならない。国際法はすでに指摘した成文化の過程(例えば2004年国連主権免除条約草案)、または司法判断レベル(例えば2001年アル・アドサニ事件における欧州人権裁判所(大法廷)判決多数意見、本裁判所における本件)の過去の長く継続した怠慢により凍結されることはありえない。本件における裁判所の主張を類推すると「強行規範には」その射程や範囲を決定する規則としてその適用を中止したり制限したりする「内在的制約」というものは存在せず、ただ今日までなされていない確信をもった実行を求めている。

299. 裁判所はその判断にあたって人権と国際人道法への重大な違反による被害者の甚大な損害に無関心であったり、忘却してはならない。また、主権免除を絶対的価値とする不適切な判断によって国家の敏感な部分に過度に配慮すべきではない。全く反対に、国家の残虐行為の被害者らを無補償のまま放置してはならない。主権免除は本件の支配的な見解ように裁判権に対する障害物として機能させてはならない。それは裁判を現実化する道ではない。裁判を実現するためには、広範な被害者に裁判を保障し、彼らに損害を負わせた犯罪に対する賠償を請求し獲得する権能を与えるという最終目標を維持するべきである。 強行規範は主権免除の特典や恩恵に優先する。そこから導かれる結論は、裁判拒否と不処罰の回避である。

XXVII. 要約 : 結論的考察

300. ここまでの全ての考察から、主権免除に関するこの判決の対象となった全ての論点について私の立場と裁判所の多数意見に支持された見解が完全に反対であることは明瞭である。私の反対意見は当事者(ドイツとイタリア)及び参加国(ギリシャ)が当裁判所において行った主張の評価のみに立脚するのではなく、むしろあらゆる原則の問題と根源的価値に重点をおいている。私は国際司法機関の誠実な作業のなかで私の根本的立場を本件の反対意見の根底に置かなければならないと考えてきた。私はこの段階において、論点の明確化と相互関係の強調のために私の反対意見の全ての論点をここに要約して記載することが適当であると考える。

301. 第1 : 同じ継続した状況の中で、時間の経過と法の進化を特定の事実との関係におい てのみ受け容れ、他の事実との関係では受け容れず、単に訴訟における自己の利益に資するために時際法について考慮してはならない。過去の残虐行為の実行の法的結果から逃れるために静的ドグマの背後に隠れることはできない。法の進化を考慮すべきである。

第2 : 同じように、本件の事実関係を抽象化してはならない。主権免除は虚空の中で考察することはできない。それは、係争の根源となった諸事実と分かちがたく結びついた問題である。事件の事実的背景をなす加害行為の責任を原告国家が裁判所における手続の全ての段階(書面及び口頭の段階)を通じて自ら認めているという、独特で前例のない本件のような場合には、上記の関係性の承認はさらに説得力がある。

302. 第3 : 20世紀の二つの世界大戦の恐怖を目撃した世代の法学者から、国家中心思考に全く縛られず人間の根源的価値と個人を中心とし、今日でも妥当する万民法の歴史的起源への忠実性を保った学説の発展が始まった。主権免除は要するに特典又は恩恵であり、人間の根源的価値に焦点を当てた今日の国際法の進化と無関係な抽象的な存在ではありえない。

303. 第4 : 国際法学会の研究成果を含む現代の明晰な国際法学説はとくに国際犯罪のケースについて、主権免除と裁判を受ける権利の間の緊張を適切に後者を優先することにより徐々に解消しつつある。それは 裁判の切実な必要性、そして国際犯罪が行われた場合の不処罰を回避し、それらの将来における再発防止を保障することに対する学説の関心を表している。

第5 : 限界値を超えた人権と国際人道法に対する違反は被害を受けた個人の賠償請求において裁判権に対する全ての障碍を排除する。すべての集団的残虐行為は誰が犯したかに関わらず、今日では限界値を超える重大なものと考えられていることは大変重要である。犯罪的な国家政策とそれに続く国家による残虐行為の実行は主権免除の盾によって隠されてはならない。

304.第6 : 個人の固有の権利についての国家間による放棄は認められない。それらは国際公共秩序に反し、いかなる法的効果も剝奪されるべきである。これは人間の良心、世界の司法の良心、法の究極の源泉に深く刻み込まれている。

第7 : 第2次世界大戦までに(奴隷労働の形態の)強制労働のための移送はすでに国際法により禁止されていた。第2次世界大戦のはるか以前にその違法性は規範レベル(1907年ハーグ陸戦条約や1930年ILO強制労働禁止条約)で広く認められていた。成文化作業の中でもそのような禁止は認められていた。その上、それは司法的承認も受けていた。

第8 : 戦後補償請求の権利も同じように第2次世界大戦のはるか以前に認められた(1907 年ハーグ陸戦条約において)。

305. 第9 : 国際法秩序を不安定にしたり危機に陥れたりするのは国際犯罪であって、正義を求める個人の補償請求訴訟ではない。国際法秩序を悩ませるのはそのような国際犯罪をもみ消し実行者を処罰しないことであり、被害者が裁判を求める事ではない。国家がその国民の一部や外国の住民を虐殺する犯罪的政策を遂行した場合、後で主権免除の盾に隠れることはできず、主権免除はそのような目的のものとされてはならない。

306. 第10 : 国際犯罪を構成する人権と国際人道法に対する重大な侵害は反法律的行為、強行規範違反であり、それを全く消し去ったり主権免除に依拠して忘却の中に投げ入れることはできない。

第11 : 国家によって実行された国際犯罪は業務管理行為でも主権行為でもない。それらは犯罪、国家犯罪であり、それに対する主権免除はない。そのような伝統的で浸食的な区別は意味がない。

307. 第12 : したがって、人権と国際人道法に対する重大な違反の場合に個人が国際司法機関にその権利を証明するために直接提訴することは、自国に対する訴訟の場合であっても完全に正当化される。

第13 : 個人はまさに国際法の(単なる「関係者」ではなく)主体である。そして法学説がここから離れると、常にその結果は悲劇的である。個人は国際法(万民法)から直接に生じる権利の保持者であり義務の負担者である。この数十年の国際人権法、国際人道法、国際難民法、そして国際刑事法の発展の収斂はこのことをはっきりと証明している。

308. 第14 : 主権免除を放棄できないということは全くない。人道に対する罪については主権免除はない。国際犯罪(国家犯罪)の事件において放棄できないものは人間としての固有の権利への重大な侵害に対する補償請求権を含む個人の裁判を受ける権利である。その権利なくして信頼に足る法制度は国際的にも国内的にも存在しえない。

309. 第15: とりわけ人権と国際人道法への重大な違反の認定は、裁判の現実化の必要性のため、裁判権に対するいかなる障碍も除去するための価値ある基準となる。

第16 : 重大な人権侵害の侵害行為が公的なものか、国家の黙認を受けた私的なものか、また、それがすべて法廷地国内で行われたか(強制労働のための移送は国境を超えた犯罪である。)は重要な問題ではない。主権免除は個人の基本的な権利への侵害に対する補償の分野には存在しない。

310. 第17 : 広義の裁判を受ける権利は実効的な救済の手段として形式的に裁判を利用す ること(提訴の権利)にとどまらず、適正手続の保障(武器対等、公平な手続)、(給付判決としての)判決に従った執行、賠償金の支払まで含むものである。裁判の現実化はそれ自体が被害者に満足を与える補償の一形態である。これにより抑圧の被害者らは正当に主張する法の権利を得るのである。

311. 第18 : 主権免除固有の分野においてさえ、国際人権法の出現と裁判を受ける権利と国際責任への関心の高まりによって重大な侵害の事件においては主権免除を制限又は排除するという内容の変容が進行したことが認められてきた。

第19 : 人権と国際人道法への重大な違反の被害者個人に対する国家の補償義務は慣習国際法及び根源的な一般法原則による義務である。

312. 第20 : 今日では被害者が補償を求めている国際犯罪の事件では主権免除を否定しようという意見が有力になってきている。実際、商業関係の領域や国内の個人的不法行為(例えば交通事故)に関しては主権免除の排除を認め、一方で人権と国際人道法に対する重大な違反により特徴づけられる国家の(犯罪的)政策追求による国際犯罪の場合に国家を主権免除により保護することを主張するのは法的不条理である。

313. 第21 : 広義の裁判を受ける権利はその許容可能な内在的「制約」ではなく、それが根源的権利であるという本質に焦点を当てて考察されるべきである。

第22 :人権と国際人道法への重大な侵害は強行規範への侵害でもあり、国家責任と被害者の補償請求権が生じる。これこそ(各国のさまざまな法体系における)法の概念の基礎をなす、公正の理想(自然法の条理への適合)に沿うものである。

314. 第23 : 人権と国際人道法への重大な侵害に対する補償制度は戦争犯罪や人道に対する罪の結果損害を負った個人を排除し国家間レベルに限定されるという主張には根拠がない。本件の記録によれば、ナチスドイツによる重大な人権と国際人道法違反の被害者であるイタリア軍人収容者は実際に今日まで無補償のまま放置されていることが明らかである。

第24: これらの国家の残虐行為による個人被害者がいかなる形態の補償からも取り残されることはあってはならない。主権免除は本件のような状況でなされたように、裁判権の障害物として機能してはならない。それは裁判の現実化を妨害するためのものではない。裁判の追求は全ての被害者に裁判を保障し特に彼らに損害を与えた犯罪に対する補償を請求し獲得することを可能にするという最終目標を維持することである。

315. 第25 : 強行規範から効果の法的重要性を奪う「手続」規則と「実体」規則の抵触に関する誤った思い込みや形式主義者の浅慮に同調してはならない。抵触が存在するという事 実に変わりはなく、理由のない解体の試みに抵抗して生き続ける強行規範に優越性がある。民間人の虐殺や奴隷労働に従事させるための民間人や戦争捕虜の移送のような国際犯罪の事件において主権免除の特典や恩恵はありえない。それらは強行規範による絶対的禁止への重大な侵害であり、いかなる免除もありえない。

316. 第26 : 強行規範は主権免除の特典や恩恵の上位にあり、そこから全ての結論が導かれ、その結果裁判拒否と不処罰が回避される。

上記の全ての根拠により、国際犯罪、人権と国際人道法に対する重大な違反には主権免除は適用されないというのが私の確固たる立場である。
私の理解によれば、これが国際司法裁判所が本件判決において判断すべきであった内容である。

(署名) アントニオ・アウグスト・カンサード・トリンダージ.

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